2013.09.03

Category:OB

「『黒い雨』をめぐって」平松多一(劇団民藝 制作部)

 

ご存じのことと思いますが川崎市アートセンターには、カンヌ映画祭グランプリの受賞楯が二つ飾られています。
受賞者はいずれも今村昌平監督。
「楢山節考」と「うなぎ」の二つ。
でも、楯の数は本当は三つだったかもしれず……。
一体、誰かが盗みでもしたのでしょうか。

先日の8月15日、そのアートセンターのアルテリオ小劇場で、奈良岡朋子ひとり語り「黒い雨~八月六日広島にて、矢須子~」が上演されました。
1週間前には前売り完売という反響の大きさ。
当日も多くの方が、当日券を求める列に並んでくださいました。

 

映画「黒い雨」がカンヌに出品されたとき、グランプリは今村監督に贈られるものと誰もが信じた最有力候補作でした。
ところがそうはならならず。
「コンペティションは、政治的なものでもあるから、がっかりしないで」そう今村監督に伝えてくれといったのは、小林正樹監督でした。
その一年前、今村監督の企画する「日本映画ノ発見」は、小林正樹特集でスタートし、私はその制作スタッフだったのです。

 

ひとり語り「黒い雨」は、日本を代表する舞台女優が、ステージにたった一人。
休憩なしの1時間20分。
スポットライトに浮かび上がったその姿は凛々しく、語り終わったその時、大きな拍手が会場全体を包みました。

 

私は、20代、30代を今村監督が仕掛けるイベントの数々に参加させていただき仕事のイロハを実地に学ばせてもらいました。
今では奈良岡さんが代表をつとめる劇団民藝の制作部でなんとかやっています。
若い時に鍛えてもらったお蔭でしょう。
昭和20年の8月15日も暑かったと聞いていますが、今年の8月15日も暑い一日でした。
戦争の悲劇を庶民の目から描いた井伏文学の傑作「黒い雨」は、これからも読み継がれていくことと思います。

 

ちなみに三つめの楯を持っているのは、当時26歳の無名の若者でいまではハリウッドの巨匠のひとりスティーヴン・ソダーバーグ監督。
受賞スピーチを映し出すテレビ画面をぼんやりと覚えています。
時は1989年、日本はバブル景気の絶頂期でした。
(横浜放送映画専門学院 映像科11期生)

ページトップへ