2005.04.25

Category:OB

「映画つくりを志す人たちへ」三池崇史(映画監督)

 

私にも少年の日がありました。
今とさほど変わらぬ、勉強嫌いで
何をやってもハンパな子供だった。
バイクとパチンコに喫茶店、ユルユルと退屈な毎日。
それでもなんとなく楽しかった。
ただそれだけだった。
夢なんてなかった。
「おまえどないするねん。進学か?」
「いや、もう勉強はええわ。向いてない」
「ほな就職か?」
「・・・それもいややなぁ。て、おまえはどないするねん」
「・・・そやな。どないしょう」
何者であろうと、どのように生きていようと、犬でも猫でもミミズでも、
『時』は等しい速度でその身を通り過ぎていく。
「卒業か・・・」
人間、いつの日か社会に出て、大人にならねばならぬらしい。
「もうちょっとサボッとこ」

 

時間かせぎのため映画の学校に進んだ。
「日本映画学校」の前身、「横浜放送映画専門学院」だ。
学校法人になる前の私塾のような学校だった。
なぜ、そこだったのか?
「横浜」って響き、ちょっといいじゃん。
それに、「放送映画」っていう曖昧な感じも気に入った。
そして、試験がなかった。
素晴らしい。
誰でも受け入れてやろうという心の広さが嬉しいじゃないか。
「よし。ここにしよ」
いいかげんな理由だった。でも、あの時はそれで充分だった。
結局のところ、私は逃げたのだ。住み慣れた街の窮屈な空気から。
大人になることから逃げ出したのだ。
逃げ切れるものじゃないと知りながら・・・
「おまえそんなに映画のこと好きやったか?」
いやいや、だから違うんだよ。
映画を観ることは好きだけど、創ろうなんて思ったこともない。
ただ逃げただけなんだよ。

あれから27年。
やはり、『時』の流れからは逃げられなかった。アッという間に45歳だ。
しかし、なぜか私は映画監督。
これはいい。だって、大人にならなくてもいい仕事なんだ。
このまま逃げ切って死んでやろうかなと企んでいる。
やれやれ、人生って不思議だな。

 

つまり、こういうことではないだろうか。
映画って奴は、観るものに何かを与える。
笑いや涙。ときに勇気や元気を観客に与える。    
そのために、映画を創るのだと人は言う。
でも、本当はそれだけじゃないんだ。
映画の優しさは、創る人間に向けられているんだ。決して創る者を裏切らない。
観るものより遥かにたくさんの何かを創る者に与えてくれるのだ。
映画は優しい。
母のように優しい。
これは本当です。
だってそうでしょ。
こんなハンパな私に、生きる場所を与えてくれたのだから。

 

さて、次は君たちの番です。
逃げてもよし、進んでもよし。
なになに大丈夫だって。傷ついた時、映画が癒してくれるって。
映画界にばら撒かれたこの学校のたくさんの先輩たちが、君の登場を待っている。
少しは役に立てると思うぜ。

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