2005.07.11

Category:OB

「『終戦』を描いた二本の映画」野口雅弘(俳優)

 

二年前の秋と一年前の春、私は終戦前後の時代を描いた二本の映画に出演しました。
「赤い月」と「ローレライ」。前者はメロドラマであり、後者は戦争映画というジャンル
に入るかどうか、とにかくこの二作品はその製作方法から、製作を中心に担ったスタッフの方々の世代まで全く対照的でして、しかも戦争の時代を扱ったこれまでの日本映画がなし得なかった事を見事に成し遂げた作品でもあります。私自身も俳優として貴重な経験をさせて頂きました。
「赤い月」では″満州″です。かつて朝鮮半島と共に中国東北部の中心部を植民地とした日本人達は、その土地を″満州″と呼びました。
この映画はその満州で栄華を築いた一家の妻、波子が敗戦の混乱の中を生き抜き、二人の子供と共に日本に帰る日までを描いた物語です。降旗康男監督のもと、日本映画界のベテランスタッフが集結し、常盤貴子さんが主人公を演じました。″満州″を舞台にした映画は過去にも沢山ありますが、民間人の女性に視点を当て、実際に当時の場所で撮影出来た映画はこの「赤い月」が戦後初めての作品になったと思います。「満州の話は満州で撮らなければダメなんだ。」と言い切った撮影監督木村大作さんの言葉に、降旗監督他、戦中体験を持たれたベテランスタッフの方々の敬意を感じました。私達若造はただ追いて行くのみ。黒龍江省のあの広大な田園地帯に立った時、「見ろ。ここが″満州″だ。しっかり歴史を学んで帰れよ。」と監督や木村さんの声が聞こえた気がしました。

 

「ローレライ」は戦後生まれの若者達が創った映画です。役所広司さんが主演しました。終戦直前、米軍の原爆投下を阻止すべく、秘かに出撃した伊号潜水艦の物語。と、ここまでは思い付けてもその先となると、潜水艦の秘密兵器は超能力を持った一人の少女であったりします。私も戦後生まれではありますが、ここまでの発想は持てません。監督の樋口真嗣さんも、原作者の福井晴敏さんもまだ三十代の若さです。しかし、この人達、ただの若者ではありませんでした。この荒唐無稽な発想を見事に映画として成立させてみせました。「特攻は作戦とは呼べません。」とか「大人の起こした戦争なのに、最後までお前たち子供の力を頼りにした・・・。すまなかった。」というような台詞は逆に平和な世の中で育った人で無ければ書けない台詞では無いでしょうか。戦争の時代を描こうとする時、これからは若い人達が創って行く事になります。そうすると親から直接戦争体験を聞いて育った私の世代にも少々の責任がかかって来そうです。何せ、″満州″行って来ましたから。

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