2005.08.01

Category:学生

「元気があれば、何でも出来る!」松田いくみ(俳優科 2年)

この学校に来たときは全てのことが新鮮でした。芝居をつけてもらうことも、舞台を見に行くことも、芸能人に会うことも!鹿児島から来た私にとって、夢のような日々です。

 

ですが、どうも納得いかなかったのが二年生の一学期に行う漫才実習でした。「私は、俳優になりに来たのに・・・。まぁー、私、大人ですから、やれと言われれば、やりますよ!」と割り切りました。しかし、クラスの中で一切やりたくないオーラを放つ女がいました。佐藤美由希、私の相方になる子です。彼女は舞台経験が多く、自分の意思をはっきり持った人です。「漫才をやる意味が分からない!」と先生にも言っていました。私と美由希は仲が良いので、できれば組みたくなかった。「漫才では必ずコンビ仲が泥沼化する」と先生が要らぬ情報を入れてくれたからです。でも周りがどんどんコンビを作っていくので、お互い何となく、やりますかー?的な空気になってしまったのです。

 

美由希からメールが来ました。「ネタ出来たから来週やってみない?」オー!
腹を決めたようです!やると決めたら、やる子なんです!そして、互いのネタを持ち寄って基本を作りました。テーマは「負け犬予備軍」。漫才を観るのは女性が多い、女が女を笑うのは、自分より哀れな女だけだと思ったからです。それからはどれだけ自分たちが惨めになれるかの挑戦です。

 

しかしこれからが大変でした。私はボケ担当なのですが、どうしても羞恥心というものがあってどこかでブレーキを踏むのです。先生は、その十倍出せと言いました。私は美人ではないですが、中の上くらいではないかと(・・・言い過ぎですか?!)勘違いしているので、どこかで自分を汚く見せたくないと思っていたのかもしれません。でも中途半端にやった方が損することに気付きました。だってネタみせで笑い声が聞こえないんだもの!観客の反応というのは私達を調子に乗らせてくれる媚薬のようなものです。もっとやればもっと笑ってくれるかもしれない。その想いから相方の言葉に細かく反応してコロコロ表情を変えたり、アドリブを入れて相方を困らせたりしていました。
早くネタ出来て二人とも飽きてきたので、正直あまり練習しませんでした。だからこっそり・・・抜け出して新百合ヶ丘・サティーなどに行って、気分転換をしていました。・・・すいませんでした!
慣れてくると相手の言葉を覚えてくるので、どうしても順を追ってしまうのです。それは避けたかった。
仲間内と本番の観客はまったく別物!緊張の度合いも違えば、反応も違います。

 

学内の発表会の初日、恥ずかしながら緊張のし過ぎで舞い上がって失敗してしまいました。私はただ自分のことに必死で、お客さんのことを考えずただベラベラ早口で叫んでしまったのです。悔いが残りました。二日目、今度は落ち着いてできました。他のコンビのネタを笑う余裕さえありました。相方が言いました。
「元気があれば、何でも出来る!落ち着いて楽しくやろう!」
本当にその通り。めちゃくちゃ楽しかった!マイクに歯はぶつけるし、セリフは飛ぶし、相方のスカートめくっちゃったけど、お客さんが笑ってたし、何より終わった後二人で大爆笑!相方は私を「奇跡の女」と呼んだ。
その後、プロの方々と一緒に出たシアターDの漫才もアントニオ猪木パクリの「元気があれば、何でも出来る!」をモットーに乗り切りました。この漫才実習で私は変わった、と人に言われました。私自身はあまり分からないのですが、自分を「出す」意味は分かった気がします。相方・美由希と見守って下さった先生方に感謝します。ありがとうございます。
あと、なんか「芸人への道」みたいになっていますが・・・

 

私がなりたいのは女優ですから!

ページトップへ