2005.11.07

Category:OB

「留まれ、お前はいかにも……」山本晃久(東宝スタジオサービス 映画営業課)

 

ファウストはその言葉を発したがために、メフィストーフェレスとの契約に法りあっけなく死んだが、その後の結末より以上に彼は幸福の人だったと言える。

 

卒業して早3年目。今年5月に、私は2年勤めた(株)東宝映像美術を辞め、新たに設立された(株)東宝スタジオサービスという会社に移籍しました。
要するに東宝スタジオを運営・営業していく会社ですが、あるいは一昔前の東宝スタジオをご承知の諸先輩方なら「東宝スタジオが営業ぉお?」とか思われるかもしれません。今、東宝スタジオでは大改革が行われており、ステージやキャスト棟などの新設というハード面に加え、ソフト面でも変革を進め、従来の閉鎖的で高価なイメージを払拭するよう努めている次第です。時勢に乗って、東宝スタジオは変貌し、あらゆるプロダクションにその門戸を開こうとしている(お金の問題はさておき)のです。

 

私は縁あってその尖兵、突撃隊、切り込み隊であるスタジオの映画営業担当をしています。まだまだ上司の後をついていくのが精一杯でありますが、現場で同期や諸先輩と出会う度(内心は仕事しづらいなあと思いながら)何やら勇気づけられる思いで、背筋を伸ばしております。
そんな時日本映画学校の懐の深さを実感もし、またこの懐がさらに深まってほしいと願いもします。もし皆さんが東宝スタジオに来所されるようなことがありましたら、「15期生の山本」を呼び出してください、そしてお茶を出させてください。もしもスタジオでの撮影をお考えならば、若輩の身に、是非ともご相談ください。
と、にわか営業をしつつも、実は自分は脚本家志望青年。この頃は脚本を一切書かず(書けず?)、夜毎遅くまで19世紀から20世紀中頃にかけての欧州の小説・エッセイ・自伝・詩などを読み漁っております。なぜ学生時代に餓死してでもこれらの本を読まなかったのだろう、と本気で後悔する程、愉しんで没頭しております。
そうしてふと、未だ何も成しえていない自分というものを眺めて(きっと多くの同胞がそうであるように)、時として大波のような不安と不信が胸の内に押し寄せてくるのを抑えられなくなります。あるいは自分の人生はまったく無為なものかもしれない、と。ファウストが、その苦悩と己とを昇華できたのは丁度100歳の時です。100歳・・・・・・人間は自己実現というものに、これほど長大かつ数多の改悛を必要とするのでしょうか? しかし私は私の「100年目」、そう言えるかどうか。「留まれ、お前はいかにも美しい」と。私の歩んだ軌跡を省みても、それでもなお美しい、そう言えるかどうか・・・・・・。
あるいは「留まれ、お前はいかにも口惜しい」などと言うのか。私は真夜中、自分にそう問うてみて、幾度も幾度も戦慄を味わうのです(そうして何故か筆は取らず、次の本を手に取るのです・・・・・・ああ、マルセル・プルースト・・・・・・)。

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