2005.12.12

Category:講師

「プサン国際映画祭にて」安岡卓治(プロデューサー)

 

10月11日プサン着。
この日はひとり息子の誕生日なのだが、これまでまともに祝ってやったことがない。
10月は映画祭シーズン・・・。日本映画学校が協力する川崎市の市民映画祭「KAWASAKIしんゆり映画祭」をはじめ、われわれドキュメンタリストのメッカ「ヤマガタ国際映画祭」もこの季節。さらにアジア最大の国際映画祭「プサン国際映画祭」も、まさにこの時期に開催されるのである。ここ十年ばかり、10月は三つの映画祭のいずれかにしばられて、まともに連休を家で過ごしたことがない。
今年は、2本のプロデュース作品の動きが平行して、その慌しさも格別だった。
春に公開した綿井健陽監督「Little Birds-イラク 戦火の家族たち」は、「しんゆり」と「ヤマガタ」。夏に完成したばかりの古居みずえ監督「ガーダ パレスチナの詩」は、「プサン」でワールド・プレミアが決まっている。おまけに浜松映画祭でも「Little Birds・・・」の上映があり、講演依頼が来ていた。
「しんゆり」で綿井とトーク、「ヤマガタ」に発つ綿井を見送って、こちらは浜松へ。講演を済ませて「プサン」に飛ぶ。新作のプレミアを優先させるため、今年の「ヤマガタ」は欠席せざるを得ない。「あんにょんキムチ」の監督・松江哲明や「熊笹の遺言」の監督・今田哲史、「たんぽぽの歳月」の任書剣・・・、私のゼミを巣立っていった連中と久々に酌み交わせると思っていたのに・・・。残念無念。

 

で、「プサン」。
プロモーションのためのポスターやチラシの配置、海外の映画祭関係者との会合や宣伝材料の受け渡しなど、旅行気分に浸っている間などない。とはいえ、ここでもOBとの再会が私の愉しみだ。
「プサン」に出品される日本映画をフォローしている映画プロデューサーのヤン・シオンも、実は私のゼミの学生だった。韓国からの留学生だったヤンは、学年で1~2名にしか給付されない学内奨学金を獲得するほど優秀な学生だった。卒業後、日本映画を紹介する批評家として韓国で名声を得、韓国映画の大きなうねりに乗って、日韓合作をはじめ、大作を何本もプロデュースしている。日本に留学する前はモデルとしても活躍していて、ペ・ヨンジュンの五倍はハンサムだ。「プロデューサーで苦労してないで、俳優になっておけば、今頃は『韓流スター』だったのに・・・」と軽口をたたくと、困ったように苦笑いしていた。

 

新作のプレミア上映を終え、古居監督の帰国を見送った後、最終日のクロージングセレモニーに参加した。
4000人収容の巨大野外劇場でのクロージングを飾る映画は「ウエディング・キャンペーン」。
これまで、今村昌平や北野武、チャン・イーモゥなど世界的な監督たちの作品が上映されたクロージング。
今年は韓国の若手による初監督作品。ちょっと不安がよぎった。
が、50メートルプールを立てかけたような巨大スクリーンに映し出された作品は、ウエルメードなコメディーだった。韓国映画にありがちなオーバーアクションのコテコテコメディーではなく、まるで松竹の喜劇のように抑制された人情味あふれるドラマだった。4000人の観客が笑いの波で揺れた。監督は、ファン・ビョンコク。10年前、彼も日本映画学校の録音ゼミの学生だった。当時の担任は松本隆司。
松竹で寅さんシリーズ全48作すべてを担当した録音技師である。松竹大船のスタジオは今、跡形も残ってはいない。
だが、日本の喜劇映画のDNAがこの学校を通じて韓国映画に引き継がれている。
「ウエディング・キャンペーン」の主人公の青年に、若き日の渥美清の面影を感じた。感無量だった。11月になって日本公開のプロモーション準備のため来日したファン監督は、真っ先に日本映画学校を訪れてくれた。学生の実習指導に大忙しの松本との再会はつかの間だったが、ふたりは満足そうだった。
学校から映画が生まれ、拡がる…。そんな手ごたえをしっかりと感じる秋だった。
日本映画学校の講師であることの至福をしみじみかみしめている。

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