2006.01.30

Category:講師

「燃ゆるとき」細野辰興(映画監督)

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1980年(昭和55年)の何月だったのだろうか? おそらく9月か10月だったはずだ。私は、黒澤明監督と並び称される日本映画界の巨匠I・S監督を助手席に乗せ(I・S監督は、ロケハンの習慣からか助手席に乗ることを好んだ。)、緊張した面持ちで川崎の山中に車を走らせていた。I・S監督は、念願の大作時代劇を撮り終えた直後であり、私は、その作品が生まれて初めてと云う初年兵スタッフだった。準備や撮影中に比べれば比較的、緊張感は薄かったのだが、滅多なことを話しかけられない威圧感は矢張り2人だけの車内に充ち満ちていた。
「・・・。あのオープンセットだが。暫くの間、あのままの状態で遺しておこうと思っている。」
東京と埼玉の境に小合溜と云う、川のような形状の池があり、撮影のためにそこに木の橋を掛け埼玉側に江戸町の大オープンセットを建てていたのだ。
I・S監督は、ポツリポツリと話し始めた。曰く、
「撮影で使った時代劇のオープンセットを遺し、そこを核に江戸の街を再現し、現代の日本人に蕎麦切りでも食べてもらいながら、電気、ガスもない長屋住まいをしてもらい、当時、庶民が何をどのように感じ生きていたのかを体感してもらいたいのであるッ。強いては、セットを参考資料として遺し、役所との折衝に役立てたい。」
と云うようなことだったと思う。
I・S監督が5年ほど前に横浜に創った映画学校の卒業生でもあった私は、趣旨に感激し、
「凄いですねッ。」等と熱っぽく応えた。しかし、次の仕事が本決まりになっていないフリーの映画スタッフとしては、我が身の明日のほうも気がかりであり、どこか上の空であったかも知れない。
I・S監督は静かに続けた。
「とは云っても、あの建物を放置しておくわけにもいかない。そこで、暫くの間、セットに寝泊りして管理する者が必要となる。誰かお前の知り合いで元気で責任感が強く、やる気のある若者はいないか? 勿論、ギャラはキチンと出す。」
『何百人と云う人たちが数ヶ月に亘り毎日のように集い、狂気を放ち続けた壮大な夢の跡を独りで管理するのか。大変な仕事だな・・・。』と思いながらも、
「はい。元気で責任感が強く、やる気のある若者ですね・・・。」
とハンドルを握りながら真剣に考える。しかし、そう簡単に浮かぶものではない。
「・・・。ところでホソノは、次の仕事は決まっているのか? 」
「いや、未だ具体的には別に何も決まっていませんが・・・。」
「ホウ、そうか・・・。」
と云ったきりI・S監督は、窓外に眼をやり、それきりダンマリを決め込んだ。
「!? 」
取り付く島が無くなり、厭な予感が走った。次の仕事が決まっていれば、こうして運転手はしていないし、I・S監督に報告もしているだろう。第一、私の次の仕事を世話してくれているのはI・S監督の愛弟子のM・Tさんではないか。つまり決まっていないことを百も承知の上の言葉なのではないのか?!  
I・S監督は窓外を見たままだ。重い沈黙が続く・・・。この沈黙に耐えられる者が居たらお目に掛かりたいものだ。次第に胃が重痛くなり始める・・・。
「・・・あのう、・・・私でよければ、その管理人の仕事を・・・」
「おお、そうかッ。ホソノがやってくれるならそれは一番、心強い。そうか! やってくれるかッ。」
「・・・は、はいッ。」
返事をしながら気がついた。そうか、最初からターゲットは私だったのだ?! やられた!? 見事にやられてしまったッ。しかし、私に他にどういう選択肢があったと云うのだろう。

 

相手を自分の掌中に引っ張り込み、相手から申し出るように誘導する・・・。映画監督って凄いものだ! 「ええじゃないか」の準備から撮影、仕上げまで2年間従事し、監督業の凄さ、猥雑さを目の当たりにしてきた私は、ここにとどめを刺されてしまった。
かくして、それから4カ月近くの間、たった独りで、埼玉県の三郷市にあった巨大な時代劇のオープンセットの管理人をする破目になってしまった。
想えば、映画界に入って間もない、「燃ゆるとき」の真只中のことだった・・・。

 

それから10年後、私も映画監督の端くれとなり、今年の2月には8本目の劇場公開映画「燃ゆるとき」を公開出来る運びとなった。
そして、I・S監督こと今村昌平監督の創った母校・横浜放送映画専門学院の発展形である日本映画学校で演出ゼミの一つを持ち、映画(監督)業の凄まじさ、面白さ、猥雑さを少しでも伝承できればと十代、二十代の学生と格闘もしている。
5,000人近い卒業生を出し、数え切れないほどの映画監督と脚本家、重要なスタッフ、そして俳優とタレントを輩出させたワンダーランド日本映画学校は、今村昌平監督のもう一つの作品なのだ、としみじみ噛み締め、その「作品」の卒業生であることを誇りに思うと同時に矜持としながら。

 

そして、私の「燃ゆるとき」はまだまだ続いている、と確かに感じながら。

 

 

「燃ゆるとき」2006年2月11日(土)全国東映系ロードショー

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