2006.04.24

Category:OB

「『菜の花』記」守田健二(製作部)

 

ある会社でインターネット映画を製作するということで、私の下に就いてくれる製作部スタッフを、映画学校に頼んで紹介して頂いたのは、今年の3月初めのことだった。
学生課のご尽力を頂き、運よく今年の卒業生二人が就いてくれることになった。
クランクイン直前の合流ということもあり、戦力としては、ほとんど期待していなかったのだが、クランクアップ時にはスタッフの信頼を勝ち取っていたのは望外の喜びであった。

 

彼らが、働く姿を横目で見ながら、自分が十数年前に卒業して初めて就いた1本の映画に思いを馳せた。
卒業時、私は28歳だったと思う。何故かフリーで働くのは無理と思い込んでいたのだが、五十嵐氏の説得というか、「これしかない」という半分脅しに近い形で独立プロの作品の衣装管理兼助監督となった。監督は、神山征二郎。独立した神山プロを作っての第1回作品(「千羽鶴」)だった。面接して2日後には広島ロケ出発で、台本も碌に読んでおらず前日は緊張の為、一睡もできず、台本と衣装を眺めながら過ごし、徹夜のままロケバスに乗り込むという有様だった。昭和35年頃の物語だったので、時代に合わせた衣装がかなり多く、ロケ終了後のアイロンがけと洗濯でほとんど寝られなかった。風呂上りの脱衣所で、寝ているという醜態を晒したこともあった。

 

身体はボロボロの状態ではあったが、忘れられないのが主人公達の通学シーンだ。神山監督に直接、「川岸に生えている菜の花を土手の通学路に植えていいですか」と提案してみた。
すると、監督は快く「いいよ」と言ってくれた。スタッフ全員でその通学路を菜の花で埋めた。撮影後、その「菜の花道」を見ながら、えもいわれぬ幸福感に包まれた。「これなら続けていける」と強く思ったのが、今もこの仕事を続けている原点のような気がする。
今回就いてくれた二人は、この仕事で、自分の菜の花を見つけてくれたであろうか・・・。

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