2006.06.26

Category:OB

「映画の作法」都鳥拓也・都鳥伸也(記録映画「いのちの作法」プロデューサー)

 

事場の窓の外に日本列島の背骨、奥羽山脈が見える。その荘厳な山襞に抱かれ、岩手県・旧沢内村(現西和賀町)がある。
沢内村の住民たちは昭和30年代、日本で最も貧困であり、多病多死の寒村であったこの村を、わずか5年で乳児死亡率ゼロの健康村に蘇らせ、国に先駆けて老人医療費を無料化するなど、様々な保健活動を行ってきた。その理念である“生命尊重の行政”の現在形を記録するのが、今、僕たちが取り組んでいる企画である。
仮題は「いのちの作法―沢内『生命行政』を継ぐ者たち―」。
監督は小池征人氏、撮影は一之瀬正史氏、そしてゼネラルプロデューサーは武重邦夫氏。皆、60代の大ベテランだ。それに対して僕たちは23歳。なんともアンバランスな年齢構成のチームである。
企画者であり、プロデューサーである僕たちは、当然ながら監督たちと多くの議論を交わしていかなければならない。
その度に僕たちは自分たちの視点の狭さや経験の少なさに気付かされ、新しい視点の持ち方や価値観を学ぶのである。
正直、“自分はどれだけ、作品のために役割を果たせているのか?”と自問自答することもある。そして、改めて現地調査の記録やこれまでの議論のメモを読み返し、作品に没頭する。この作品の制作が始まってもうすぐ1年。いつもこの繰り返しだ。
60代のスタッフと同じ立場で議論するというのは、とても大きなプレッシャーになる。とは言え、僕たちは逃げる訳にはいかない。何せ、これは僕たちの企画である。この作品を世に出し、伝えたい“想い”がある。
だから、僕たちはいつも走り続けなければならない。

 

最近、思うのである。
「いのちの作法」を継承している人々の姿を追いながら、僕たちは3人の先輩たちから「映画の作法」を学んでいるのだと。
ふと、感じるのである。
この映画の現場がその継承の場になっているのだと。

 

いま現在、僕たちは夏のクランクインに向けて、現地で奔走している―――

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