2006.07.03

Category:OB

「アナログの底力」市野龍一(映画監督)

 

先月、「船が沈んじゃう」映画を2本たて続けに観た。
ご存知大ヒット中の『LIMIT OF LOVE 海猿』と、かの旧作をリメイクした『ポセイドン』。
どちらも沈みゆく客船内からの脱出劇をメインにした、パニックアクションてんこ盛りの超大作。
まあ、どんなスペクタクルシーンだって結構リアルに作れてしまう「デジタル」技術全盛のこの時代、観る側も慣れっこで、さほど驚きもせず「へえ、すごいじゃん」なんてポップコーンつまみながら観てたりするんだろうが、この2作に関してはちょっと事情が違う。
いわゆる沈没パニックモノでは「海」そして「水」そのものが最大の恐怖の対象だ。
簡単な話、人が居る空間が「水」で満たされると、その人は呼吸不能になる。そしてその状態が数分続けば「死」。
これを映画でちゃんと描こうとすると、キャストもスタッフも実際かなりの危険を冒しながら撮影を行うことになる。
「そんなのCGでやればいいじゃん」
出来ればそうしてるだろう。しかし、これだけ高度に発達した「デジタル」技術をもってしても「水」の表現だけはまだまだ難しく、特に「水中」シーンなどはリアルに見せるには「アナログ」な手法に頼るほかないのが現状だ。
『リミ猿』にしても『ポセイドン』にしても肝心の「水」の表現は、あくまでも本物の「水」を使って「アナログ」にこだわっている。だからリアリティーがあり、緊張感があり、本当に怖い。

 

5年ほど前、円谷プロでTV版『ウルトラマンコスモス』を撮っていた時、劇場版『コスモス2』に「海中洞窟シーン」があると聞いた。
「この水中シーン、どうやって撮るんですか?」
「う~ん、おそらく人物はグリーンバックで撮って、背景はCG合成になると思うけど・・・難しいよね、ちゃちくなっちゃいそうで」
「じゃあ、思い切って水中撮影やってみますか?」
たまたま趣味で始めたダイビングも12年目、水中ビデオ撮影も手がける身としては無視できるわけがない。
TV版から急遽離脱して「水中撮影監督」として参加することにした。
主人公・ムサシくんが幼馴染みの女の子と海底洞窟に潜り、そこで異次元世界の入り口を発見、その時、巨大なエイの怪物が彼らを襲う、そんな内容。
ロケ地として選ばれたのは、ミクロネシア・ロタ島の「ROTA HOLE」という水深30メートルある本物の海底洞窟。
事前にキャスト達にスキューバダイビングのライセンス指導を行い、現地ダイビングサービスの全面協力を得て、完璧なプランで撮影に臨んだ。
しかし、「自然」はそんなに甘くはない。
運悪く、我々が入島してからは悪天候が続き、ただでさえ暗い海底洞窟内は、外光がほとんど届かず「闇」と化した。
さらに、季節風の影響で海中環境はうねりが激しく、ダイバーもカメラも照明もゆれてゆれて安定しない。本来なら潜水禁止の状況だ。
テイクを重ねていくストレスの中で、タンクの空気は必要以上に消費され、体内に蓄積してゆく窒素は、スタッフに減圧症ギリギリの潜水を強いる。
編集すればたった2~3分であろうシーンの撮影に、七転八倒しながら丸々一週間かかった。
しかし、結果的にはこの水中シーンが、自分で言うのもなんだが素晴らしい出来に仕上がり、映画の前半部の目玉シーンとなった。本当にキャストが潜り、本当に海の中で、本物の海底洞窟で撮影を行ってる、そのリアリティーはCG合成では絶対に出せない。「アナログ」の底力を改めて思い知る体験だった。

 

「怪獣」だってそうだ。
去年から1年間、東宝で『超星艦隊セイザーX』という特撮ヒーロー番組を手掛けたが、東宝特撮の巨匠・川北紘一監督とのタッグは貴重な体験だった。
「CGで創った怪獣なんて、あんなもんただのアニメじゃねえか。生き物に見えないだろ?」
平成『ゴジラ』の特技監督を務め、『US版GODZILLA』を完全否定する川北監督のこだわりは、あくまでも「アナログ」。
怪獣はスーツアクターが分厚いラバーの着ぐるみに入って汗だくで演じ、ビルの破壊は精巧なミニチュア石膏ビルを操演部が火薬で吹っ飛ばす。
その「アナログ」な生物感、重量感と「生」ならではの迫力に、パソコン内で生まれた「デジタル」紙芝居ごときが太刀打ちできるはずがない。何十年も前から受け継がれてきた伝統工芸のような「アナログ」特撮技術が、今の時代、逆に新鮮なのが不思議だった。

 

さてそこで、ここ「日本映画学校」の話。
先日、卒業以来20年ぶりに指導監督として学生の1000フィート映画製作実習に参加した。
業界では一部の映画を除いて殆どがビデオ撮影に移行し、家庭用ハンディカムにもハイビジョン機が登場するこの時代に、20年前と変わらない16ミリフィルムカメラを使って撮影し、編集もパソコン編集ではなく、フィルムをハサミで切りセロテープで繋ぎ合わせる、いわば超「アナログ」ワールド。
一見、無駄な労力でしかなく、これから先、役にたつかどうか判らない実習に見えるが、実は、ここに、この中に、映画創りの「真髄」がある。何かと「簡単&便利」をセレクトする今の流れに逆行し、敢えて「汗」をかき、敢えて「めんどくさい」と向かい合い、敢えて「無駄」を、やる。それこそが、先月他界された故今村昌平監督が伝えたかった「映画創り精神」なんじゃないか、と思う。
なんか、無理矢理「アナログ」の話を「映画創り精神」にすり替えていったように見えますが・・・。

 

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