2006.09.04

Category:OB

「みんなの言葉」山口晃二(映画監督)

 

年号が昭和から平成に代わると共に、演出部としての活動を開始した。
まぁ、開始したとは聞こえが良いが、その年度がたまたま卒業の年で、たまたま教務課に来ていた仕事をまわして貰ったという、ただそれだけの話である。
「山口、お前免許持ってるか?えっ?無い。じゃあ駄目だな」
と教務課の五十嵐さんの一言で最初に希望した某映画の制作進行の話はボツになり変わりに貰ったのが1時間のTVドラマ2本撮りの助監督見習い。これで自分の人生が決定してしまった。(と書いておきながら、あ、ここって結構大きな岐路だったんだと、再認識した次第)

 

「お前、演出部向いてないよ。さっさとやめちまえ!」
と見習いの誰もが浴びせられるこの言葉を自分も当然の如く、それも数えきれない程頂戴し、現場の裏で壁を殴る事もしばしば。
(こんな時、優しい言葉をかけてくれるのは大概照明部なんだけど、何故なんだろう?現場全体を客観的に見渡せる範囲に全員配置されているからかな?)

 

「山ちゃんがいないと現場まわんねぇからな」
と言葉を頂いたのが助監督生活も10年を過ぎ、セカンド助監督としてはベテランの域に達していた頃。やっとこの仕事って面白いのかもしれないと思い始め、今までずっと廃業するタイミングを計っていたのを、少し思い直したっけ。

 

「チーフ助監督はプロデューサーの太鼓持ちだから」
とは先輩助監督から飲み屋の席で聞いた冗談めいた皮肉。日本映画の制作システムに於いて、一番監督業に近いポジションであるはずのチーフ助監督が何故、制作部よりの仕事(スケジュール)を担当するようになってしまったのだろう?
監督が要望する事を、時間や予算の都合などで中止及び変更を要請しに行く時ほど (お前はどっちの立場の人間なんだ) と自問自答し、気が咎めるんだよね。

 

「監督たるもの自分の監督作の悪口を3年間は言ってはいけない」
とは大島渚監督の言葉。だという事を金子修介監督から聞いた。真相は定かではないが……。

 

この度ついに劇場用の長編映画を監督させて貰った。
タイトルは「ベルナのしっぽ」 白石美帆さんの初主演映画。
撮影は去年の5月。8月に完成し、10月には第18回東京国際映画祭の「ある視点」部門に出品してもらい、今年の9月30日に
ようやく渋谷シネ・アミューズでの公開が決定。撮影から約1年半、自分にとっては呆れる程長い月日だったが、これがインディペンデント系映画の現実。
待機状態の日本映画が100本以上あるという話を聞く度に自分はラッキーな方と言い聞かせている。
内容はタイトルで何となく想像出来るかと思いますが、盲導犬と視覚障害者の家族とのお話。作品の完成度はどうかというと、それは皆さんご自身の目でご確認下さい。なんてったって監督たるもの3年間は自作の悪口(愚痴?)は言えないものなので。

 

ちなみにこの映画に誘ってくれたプロデューサーもスタッフとして参加してくれた人の多くも学校の卒業生(意識するまで全く気付いてなかったけど)。例えば学校の授業内容で理解出来なかった事があったとしてもそれは現場で3ヶ月怒鳴られれば憶えてしまうもの。それよりなにより大事なのは人との出会い。学校生活3年間で出会う人の中に必ずや今後の自分の財産になる人がいるはず。

 

自分が学生だった頃、美術の講師だった故・鳥居塚誠一氏の言葉。
「今は私と皆さんは教師と生徒という立場ですが、卒業した瞬間から皆さんは私の同志、仲間、そしてライバルになるんですから」

 

こうした数々の人々から頂いた言葉(叱咤激励、罵詈雑言等々)があるからこそ今ここに、今の自分があると思う。

 

「ベルナのしっぽ」公式ホームページ http://www.bsproject.jp/

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