2007.01.22

Category:OB

「なんにもないけれど」祢寝彩木さん(脚本家)

 

日本映画学校を卒業し、働くわけでもなく家業を手伝うわけでもなくぼんやりしていたら、あっという間に一年が過ぎていることに気がついた。25歳の誕生日前日でした。今思えばなんてことをと思うが、焦った私は師匠(認めてもらってはおりませんが)である荒井晴彦先生に突然電話をかけ「一体どうしたらいいでしょうか?」などと聞いてしまっていた。
しかし荒井先生は怒るどころか「制作会社にはたくさんの脚本が集まる。そこで脚本を勉強しろ」そう仰って制作会社アルチンボルド・成田プロデューサーを紹介してくださったのです。
「脚本なんてのは教えてもらうものじゃない。読めばそこに書いてある」
入社後の私は荒井先生の言葉を胸にプロの脚本家たちのできたてホヤホヤの脚本に読み耽りそして「脚本は直しの文化」の言葉通り、第一稿から決定稿までの過程に何度も目からウロコを落としては拾っていた。
そんなある日、ある監督が「書いてみる?」と言ってくださり、狂喜乱舞いや孤軍奮闘?から回り?とにかく気張って書いたのですが、ダメでした。流れました。全てがはじめての私には何故?の嵐(私の脚本が稚拙だったからであろうに)。生意気にも不貞腐れていたら「ひとりライターが降りちゃったから書いてみない?」と、またあるプロデューサーさんよりお声をかけて頂き、今度こそはと書きました。が、これまた流れ落ち込んでいたら、なんとまたまた「書いてみない?」いや「書いて頂けませんか?」という驚きのお言葉を頂いたのでした。制作会社ブロッコリ・尾西プロデューサーは最初から私を脚本家志望でも卵でもなく、一脚本家として扱ってくださり、なにもない私になにかがあるのではと賭けてくださったのです。私はとにかく無我夢中で書き、直しを重ね、2年の歳月を経て遂に映画は完成に至りました。今振り返ってみても、荒井先生をはじめこれまで出逢った監督・プロデューサーの方たちが書け書けと背中を押してくださったことにひたすら感謝です。
安藤尋監督作品「僕は妹に恋をする」。この作品が私の初脚本作品です。脚本作りは難航しました。一言で言えば私に書く力が足りなかったからです。ほとんどを安藤監督が書いたと言っても過言ではありません。けれど直されずに残ったシーンやセリフたちもあります。ガラス細工のように繊細でせつない映画です。ひとりでも多くのひとに観てもらえますように。

 

この作品で私はうちのめされました。本当に生意気でした。身の程を知りました。やっぱりなにもありません。
が…。
ならば、次はなにもない人間を描いてやろうとどういうわけだか前向きな毎日です。…すみません。

 

 

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