2007.04.09

Category:OB

「映画作り」松岡良樹(助監督)

 

早いもので、今年で卒業をしてから3年目を迎える。
テレビドラマの助監督として、始まった僕の業界生活も、今は無事に映画界でなんとか仕事をしている。

 

テレビドラマ時代、2本のゴールデンのテレビドラマに助監督の4th(フォース)として参加した。そこで、得たものといえば、自分の無力さと、テレビドラマというものを製作しているというよりも商品を生産しているという感覚だった。自分が無力ゆえに時間に追われていたということもあったのだが、「映画製作」というものへの憧れがより一層増す結果となった。

 

二本目のテレビドラマが終わると、次のテレビドラマの仕事の話が2つ、3つ転がりこんできた。どの仕事にするのか、考えているところに一本の電話が映画学校時代の同期からかかてきた。学生時代から、僕は同期が当時出入りしていた映画製作会社で仕事でしたいと考えていたから、もし話があれば連絡をして欲しいとお願いしていた。まさに、その電話のおかげで、僕は今その会社で映画製作をしている。

 

お世話になっているこの映画製作会社は『企画』~『製作』~『宣伝・配給』~『DVD製作』まで、映画製作の1から10まで全てを行っている。給料という面では、助監督をしている頃よりも大幅に減ってしまったが、「映画作り」という仕事を全てできるこの環境は、いい勉強になっている。このGW(ゴールデンウィーク)に、昨年一年をかけて「使えない助監督の3rd(サード)」として参加した映画が公開となる。

 

この作品は、12本のオムニバス映画で、そのうち9本に参加した。9人の映画監督に撮影から編集までつき、そして今宣伝活動もしている。これと同時に今、企画の仕事もしている。撮影現場で仕事をしている映画学校の同期達に比べれば、自分は現場の仕事では劣るかもしれないが、「自分が関わった作品がどう生まれ、どうやって世の中へ出て行くのか・・・」映画作りの全てを体感するということは、なかなかできない経験であろうと思う。

 

僕らの業界は、「同期」という言葉はあまりないと思う。そんな世界で、自分のまわりには同期と呼べる仲間がいる。今、こうして映画を作っていられるのも、同期からの電話であり、映画学校の同期と会えば、それぞれの現場の話ができる。日本映画学校という学校に入学し、卒業するということは一つの入社式のようなものなのかなとも思う今日この頃で、そんな同期達とめぐり会えたことにも感謝している。

 

「歌謡曲だよ、人生は 」 http://www.kayomusic.jp/
<オムニバス映画>
『乙女のワルツ』宮島竜治監督(’89卒業生)
『これが青春だ』七字幸久監督(’88卒業生)
『東京ラプソディ』山口晃二監督(’89卒業生)

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