2007.08.06

Category:OB

「蒼き狼の群にいる蒼白な羊たち」加藤哲宏(撮影)

 

…じょぼじょぼじょぼ… 「……」
自分の小便の異様なマトン臭さに朝から憂鬱になる。
ロシアとの国境まで100キロ。社会主義時代のモンゴルで最後に建設された街・ダルハン。ここに来て約3週間。毎食マトンを出され、デザートにはビタミン剤と正露丸が欠かせない。俺、未(ひつじ)年なのに。昨夜、28才の誕生日をケーキとシャンペンと主演女優のキスで祝ってもらい、ほろ酔い気分でカメラを回しながら思ったことは『同じセットでやるシーンは全部まとめて撮ればいいのにな。っていうかメイクさんはどこに消えたんだ?ここ濡れ場だぞ』

 

日本で和太鼓グループのPV撮影で呼ばれたモンゴル人監督の通訳・補佐をしたのがこの春。彼が帰国して間もなく一本の国際電話が。
「5月から劇場長編を撮るんだけど、撮影を担当してくれるか?それとこの前一緒だった録音の長尾サンも機材を一式持って来て欲しい」
空港から直接でこぼこ道を夜通し走って着いたのが砂嵐吹き荒れるダルハン。
「これは防塵対策しないと機材壊れるね」と、横にいる映画学校同期の録音部長尾風汰。卒業制作で一緒に熊本まで行った仲。彼は初めての海外。数週間前に訪れた日本の技術と機材に衝撃を受けた監督は、撮影と録音の技術者を一人ずつわざわざ呼んだのであった。日本の現場に出てまだ数年の人間でも、モンゴルから見れば喉から手が出るほど欲しい存在。しかし実はインまで2日しかない。台本も途中までしか英語翻訳されてない。HDVで撮影するとは聞いていたけど、HMIもセンチュリーもない。じゃあ一体何があるんだ!とチェックしたら旧ソ連製のドリーが一台。乗り心地はウランバートルからの道のりと変わらない。ということで、闇市みたいな所へ行って部品単位で買い物をして、カポック・レフ版・延長コードの類いから作り始める。君たち、日本映画学校に来なよ?という感じで貴重な準備の一日が終わる。しかし流石北緯50度近く。日が暮れるのは午後9時を回ってから。これじゃ簡単なナイターを1シーン撮っただけでてっぺんかぁ。

 

1992年の民主化と共に、ソビエトによる映画産業の庇護もなくなってしまった。とはいえ各界に於いては社会主義の空気をたっぷり吸って来た世代が中心的なポジションに就いており、若い世代の脳みそもそれに倣っていく。働かない、先読みしない、段取りしない。著作権も無視しまくり。スタッフもドロンして行く。生産するより盗んだ方が早くて合理的。不倫・離婚・再婚が日常茶飯事で、その家族への影響を描く今回の脚本。モンゴルって言ったら草原と空と雲なんじゃないのか!という理想は埃っぽいセットの片隅に追いやられたまま。

 

そんな中で郊外でのちょっとしたシーンや実景撮りが本当に楽しい。湿度5%の空は面白いくらい青く写る。芝居だってモンゴル人は日本人とは違う。世界には色んな光があり、物語があり、フィルムメーカーたちがいる。言葉が通じないと言っても、映画作りという共通言語は持っている。1週間を過ぎた頃から助手のホルンダの動きも冴えて来たし、我々を呼んで良かったと思ってくれるかな。

 

デジタル化が進む世の中。それに勝つのは観察力と想像力。いかに色んなものを自分の目で見ておくかだと思う。
今度はどこに行けるかな。おっと、その前に、「オーナー、じゃあ次のワイドショット行こうか」
「あ、カトー、それははまだ撮れない。実は今衣装のスカートを買いに行ってるんだ。戻って来るまで待ってくれ」
「え、まじで・・?」
『ブスン・・』
「おい、ライト消えたぞ、どうなってる!」 「ちょうど良かった、カトー、停電だ」

 

追記:神風特攻隊のドキュメンタリー映画『特攻/TOKKO』が7月21日より渋谷シネ・ラ・セットにて、8月より名古屋・大阪で公開中です。私は補足撮影を担当させて頂きました。
あの状況を作り出した軍部というものが国を変え、形を変えて現在も存在します。おぞましいことです。日米双方の生存者の方々が当時の状況、気持ちを語って下さいました。是非耳を傾けて頂きたく思います。
www.cqn.co.jp/tokko/

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