2007.12.17

Category:OB

「地元の映画館についてと私について」宮崎景子(テレビエディター)

 

最近、友人と連絡を取った際、地元(京都・福知山)の映画館が復活したというニュースを耳にすることになった。
「東宝スカラ座」という、何とも物悲しくレトロな響きをもったそこは、ガラガラの客席で、背もたれの上に座って映画が観れた。
そこは、どこにでもある小さな映画館で、大した物ではない。それでも、何の因果かその街を出て、映画学校に入ってしまった私がいる。
そのニュースは、私にとって、とても良い事を運んでくれるさきがけのように見えた。

私の地元は、特に取り立てる所もなく、色合いもパッとしない田舎だ。少子化や高齢化のあおりを受け、2年前、市町村合併も経験した。
その影響は顕著に現れ、街の映画館も閉鎖される運びになった。
私にとって、その田舎は、とりとめがなく、手ごたえのない存在で、出て行くことが当たり前の所だと思っていた。
実際、映画学校に入るため上京したわけだし、実家に戻るという選択を今まで選ばないで来ている。
地元で働き、祭りに参加するといった友人とは、違う立場にいると思う。
とはいうものの、映画学校に入り、脚本を書き始めると、地元の風景やら行事やらが顔を出した。
その腐れ縁は、“振ったらカラカラ音のするたった20年かそこらしか、私には持ち合わせが無いのだ”ということを再再再確認させるものになった。
そして、それは“選ぶ事ができない一つのものだ”ということに再再再気付かされた。

卒業後はというと、私はテレビの編集の仕事をするようになった。日付やタイトルやらを映像に乗っける、どちらかというと機械的な仕事だ。
あれやこれやと続けて2年半。働いてみたら、働くという面白味も湧いてきた。編集をやってみたら、編集の面白味も感じた。私は単純だ。
そこが美味くも不味くも悪い所だと思う。実家に戻る回数も減り、仕事をする生活にちゃっかり浸かってしまっている。

地方行政がどうとか、福祉経費がどうとか、シネコンがどうとか。そういった難しい事情を私は知らない。
田舎だからとすべてまるめてケチをつけてしまえばいい。それでも、それがどう重なって地元の映画館が閉鎖されてしまうことになったのか。
私は、その腐れ縁のため、この映画館がまた閉鎖されてしまわないよう、知らなければいけないような気がしている。

そんな、いろんな問題を抱えこんでしまった片田舎の映画館を、復活させてくださった方々がいる。素直に嬉しく思い、熱い思いを感じる。
その裏に、大変な苦労があるのだろうと想像する。しかも、隣町で映画製作会社を運営される方だと聞き、更に感慨深く思った。

映画館の事を思い返しながら、愛郷について考えてみる。ゆったりとおだやかにそこに佇むそれに、自分の位置がつかめないまま、何年か来た。
時間はまだまだかかるだろう。けれど、そこから発展した自分が見たい。
私には、眩暈がするほど、やらなければいけないことがたくさんあるのだろう。

最近、帰郷した自分の姿をつらつらと想像してみたりする。懐かしいそこに訪れ、映画を観る自分がいる。
訪れたい場所ができたことを、心から嬉しく思う。復活させてくださった、「シマフィルム」の志摩敏樹さん、関係者の方々、感謝の意を伝えたいと思います。
ありがとうございました。
いつか本当に伝えられたらいいなと思う。

(日本映画学校 映像科17期生)

 

 

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