2008.05.13

Category:OB

「10年ひと昔」関博文(映画大道具/日本活動装置所属)

 

10年ひと昔、今時ではない言葉である。
学校を卒業して丸10年。自分の映画大道具歴も10年という事になる。
ベニヤ板を切り、角材に釘を打ち、セットを建てる日活撮影所での毎日。
映像ジャンルや作品が変われば、要求されるセットもまた様々である。
なんとか10年やってこれた。
鼻にかからない程度の自信と、あっという間に過ぎてしまった月日の早さに少々不安を感じている。

 

『映画とは・・・』と言い切れる言葉は、まだ持っていないが、時間と手間をかけたどんな立派なセットも照明部、撮影部の技術によって印象は全く異なるし、自分が参加した作品を観て素直に感動できた時は、仕事の大・小に限らず、やはり嬉しい。
苛酷な撮影スケジュールや人間関係等々・・・現場の空気が殺伐としていても、出来上がった作品を観ると面白かったり、その逆もあったり・・・正に集団芸術と云われる映画づくりが、多数の人間がかかわっている事を思い知らされる。

 

昔を懐かしむ年ではないが、学生時代を思い返すと、講義、実習・・・評論家気取りで仲間たちとの映画談義を交わした学生ホールの風景、学園祭で精鋭たち?を募り開催した伝統のプロレス大会など・・・お世辞にも真面目とはいえない生徒だった。
脳天気に学校生活を楽しんでいた自分にとってクラスの仲間や先生方、数多くの人の出逢いそのものが新しい発見であった・・・。
生涯の友と呼べる人間にも出逢えた。それだけかも知れないが、私にとって大きな収穫だった。学校には、今更ながら感謝している。

 

自分にとって映画は出逢いと発見!映画づくりを通じて、表現することの素晴らしさ、伝えることの難しさ・・・喜びと哀しみを教えてくれているのだと思う。
この先どれだけの出逢いが待っているのか考えも及ばないが、未だに、未完成の自分という作品には、既に多くの人間がかかわっている。
ナグリ一本、腰にぶら下げ、映画にかかわっていく中で、どんな新しい発見が自身を成長させてくれるのだろう?期待せずにはいられない。
そしてまた今日も、多分明日も、自分を伝える為にベニヤ板を切り、釘を打つ・・・。

 

(日本映画学校 映像科10期生)

 

 

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