2008.11.25

Category:学生

「三村晴彦監督の最後の助監督」猪瀬優子(映像科2年)

 

実習中は雑用から演出までなんでもやります編集ゼミの猪瀬と申します。

 

2年の大きな実習の一つである技術三科合同1000feet実習で、私はチーフ・助監督という立場で三村晴彦監督の下で勉強をしました。何度かプロの監督がかけるスタートの合図を聞いた事がありますが、三村監督の「よーい、はい!」という掛け声は、背筋が一気に伸びるような迫力のあるもので、私はあの時ほど鳥肌が立った事はありません。

 

現場には必ず帽子とサングラス。「猪瀬くん、猪瀬くん」と呼ばれれば、私はすかさず監督の肩叩き。今思うと、褒められた事は肩叩きくらいでした。笑。
三村監督は一度も怒りません、声も張り上げません。いつも笑顔でスタッフに接していました。(会う機会が少なかったせいかもしれませんが。)

 

自分達が間違った事をしていないか、少し不安になることもあります。そんな時に監督はニコニコしながら「それはどうなのかな?」ときちんと正しい道へ戻してくれる。そんな監督です。

 

監督と打ち合わせをする機会が少なく、連日降り続ける雨もあり、予定表や俳優さんとの連絡などにパニック状態の私はとにかく周りのスタッフに迷惑をかけ、よく助けてもらいました。

 

この時は編集ゼミを中心としたスタッフ編成でしたが、撮影部も録音部も本当に協力的で、これが当たり前だと思ってはいけないと自分で言い聞かせるほど、恵まれた環境でした。
(講師陣からドライバーさんまで本当に手助けしていただきました!)

 

そして監督と最後に話をしたのは上映会の2週間前。病院の公衆電話からでした。
「猪瀬くん。上映会は堂々としなさいよ、立派なものが出来たんだから。みんなに宜しくね」
そう言う三村監督に
「また会う機会を作ってみんなで打ち上げでもしましょうか」と笑って返事をしました。

 

実習から2ヶ月後の8月に三村監督は亡くなりました。
遥かに遠く、一生かかっても近づけない、あまりに偉大な監督でした。
クレジットに載った以上、学生の実習作品だったとしても、私は自信満々に言います。

 

私は三村晴彦監督についた最後の助監督です。

 

(日本映画学校 映像科22期生)

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