2009.01.27

Category:学生

「けったいな宝」坂元亮介(映像科2年)

 

「映画監督になりたいです」
僕は、入学試験の面接の時、そう面接官に言いました。
出来ることなら、その日の自分にヘッドロックをかましてやりたいぐらい、あっさりと口にしていたはずです。それまでの生活で出来上がっていた、まやかし物のような自分が持つ「映画監督」というものへの憧れは、ただの雰囲気でしかありませんでした。
そんな漠然としていた雰囲気も、入学してからの怒涛のような日々によって、見事に打ち消されます。
沢山の実習を通して、自分の頭の固さに絶望してみたり、人と接することの快感を覚えてみたり、毎日に一喜一憂してみたり、前進したり止まったりしながら、ちょっとずつですが、雰囲気に惑わされない「見方」を持つことが出来るようになってきたように思います。
一見、こじんまりして見える映画学校の校舎の中には、まやかしでは通じない、大阪弁でいう「けったいな」オヤジ達が沢山いて、宝のような言葉を日々僕達に投げてくれます。
授業中も、決して広くは無い教室に沢山の言葉が転がっています。
それを取りこぼさないよう、拾い集めるのも中々至難の業です。

 

「街を歩くときは、ウォークマンなんか聞いてちゃダメだぞ」
何故か僕の中に強く残っている言葉ですが、本当にそうだと思います。
ウォークマンを聞きながら歩く心地も確かに良いですが、イヤホンで塞がった耳には入ってこない、その街を行き交う「生のセリフ」を聞き逃すことほど勿体ないことはありません。
自分の頭では中々思いつかない、奇想天外な言葉が至るところに溢れています。

 

「周りがついてきてくれない、そういう時こそ、がむしゃらにやり続けるんですよ」
自分を分かってくれないと投げ出してしまうことはたやすく出来ますが、がむしゃらに進み続けるその背中で語ることほど難しいことはありません。そして、その背中に気付いてくれた時こそ、言葉では介せない関係を築くことが出来ていたりするものです。

 

「坂元、お前、分かってないなぁ~」
僕の悪い癖は、分かった振りをすることなのです。でもそれが実は一番恐ろしいことで、
分からないことが分からないというスパイラルに陥る前に、徹底して色んなことを自分の頭で、考えて、言動に移す。当たり前のことを出来る自分になるために。

 

これらの言葉は、全て実習を通して投げかけられたものですが、映画学校の学生生活の中には、もっともっと沢山の宝の言葉が日々溢れかえっています。
映画監督になれるかどうかは、今は置いておいて、あの日僕の面接官だった細野さんのゼミ生として、目を見開いて、耳をかっぽじって、また今日も授業を受けています。

 

(日本映画学校 映像科22期生)

ページトップへ