2009.02.24

Category:OB

「一生のモラトリアム」依田哲哉(即興パフォーマー・俳優・ナレーター)

 

新百合ヶ丘の近くを通ると、独特の感情になる。
「嗚呼、しんゆりよ・・・」と天を仰ぎたくなる。

 

入学試験は確か、リズム感テストと、面接と、一芸披露だった。
それまでに大学の演劇学科の学科試験を三校落ちていた。
気分は最悪だった。一芸披露なんていわれても自分に出来る一芸なんて、全く思いつかなかった。
最終的に、“この最悪な気持ちを作文にして読む”、ということしか手がなかった。
内容としては、その頃、太宰治の洗礼をたっぷり受けていたので、完全に太宰調になり、文章の〆は、「私はすべてがどうしていいか分からなくなっていた。」というような事だったと思う。

 

やる気をアピールするというような物とは程遠かった。
すごい話だ。
例えるなら、
入社試験に来て、「僕、あっちの会社と迷ってますぅ。」と言い続けるような。
好きな娘を呼び出しておいて、「好きっていえば好き。でもわかんない。」と告げるような。

 

しかし、受かった。
倍率もそれなりに高かったのに。一芸披露なのに事前に書いてった作文読んだだけなのに。
普通ならびっくりするところだが、自分では不思議と意外ではなかった。
同じ試験会場には、剣道の防具着て素振りしながら熱唱する人や、芝居のモノローグを熱演する人等、意欲溢れんばかりの人も居たが、そういう人が残ったという訳ではなかった。

 

高校時代、死ぬほど悩んだ。将来の事、宇宙の事、才能の事。
途中で部活を辞めてからは、放課後、一人で学校の外周を走って、トレーニングルームに通った。
悩んでいる事の答えが、演劇やら映画やらといった方に行けば近づけるような気がして、そっちの道を選んだ。
人生とか孤独とか存在意義とか、そういうことには誰よりも真摯に向き合っているという自負があった。

 

まあ、いうなれば、めっちゃウジウジしていた。
しかし、そのウジウジをこの学校なら受け入れてくれる。そんな気がしていた。(勝手な話だが)
かくして、僕は晴れて映画学校に入学し、楽しく、かつウジウジした学生生活を送る。“楽しく”は高校の時にはなかった事だった。
そして、卒業し、ウジウジしたフリーターになる。

 

そんななかでたまたま観に行った“即興芝居”に強烈に惹かれた。台本が無いのに相手役が言ったことに即座に返す。それに相手がまた返し、見事なストーリーが出来ていく。
こんなことが日夜、自分抜きで行われていることに焦った。
役者になりたいなんて思わなかったが、即興芝居はやらなくてはと思った。

 

ワークショップを受けてみると、即興でストーリーを作っていくうえで大事なスタンスが、“ポジティブに”、“考えない”、“面白いことをしようとしない”等、全く自分にない代物だった。
気がつくと、ネガティブな登場人物になっている。後先考えてやっている。笑いを取ろうとする。
そうすると、たしかにストーリーが作れない。即興で芝居が作れない。
これを是正していく。
主人公はポジティブな設定から始めてみる。頭でストーリーを考えるのではなく、相手から来た事にただ返す。奇抜な返しではなく、当たり前の事を。

 

こうすると、確かに興味深いシーン(ストーリー)ができる。
そして、即興する上で一番大事なことが、“遊び心”。
まじめに美しいストーリーを作ろうと思ったって、出来やしない。
美しいストーリーは、結果なることだ。
パートナーと楽しく遊んでいればいい。
これらの考え方は、自分のウジウジに、強烈な処方箋になった。

 

なにしろ、ウジウジしているとストーリーが進んでいかない。大好きなウジウジが出来ないのだ。

 

おかげでどうなったかと言うと、少し、幸福になってしまった。自分を、認めてしまっている。
これは、はっきり言って、・・・イイ。
かなり、憧れてた感じだ。コツを得てしまった。
おかげで毎日楽しくやっている。
最近は、なんとかして演者として食っていかなければとも考えるようになった。
えらい“進歩”だ。

 

しかし、ウジウジしている人にはそっと身を寄せたくなる、新百合ヶ丘に来ると天を仰ぐ。
根っこはここにあるという思いが消えない。

 

(日本映画学校 俳優科14期生)

 

>> 東京コメディストアジェイ
原宿のライブハウス「クロコダイル」にてほぼ毎週、食べながら飲みながら楽しめる即興ショーを展開中(近々の依田出演は2月24日、26日、3月6日)。

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