2009.05.26

Category:学長

「『三つの港の物語』によせて」佐藤忠男(映画批評家)

 

これは北京電影学院と韓国フィルム・アカデミー、それに日本映画学校と、三ヵ国の映画学校が協力して作った国際合作映画で1時間40分の大作である。私の知る限り、学生映画で三ヵ国合作の長篇劇映画というのはちょっと前例がないのではなかろうか。

 

製作の母体となったのは毎年横浜で行われている横濱学生映画祭である。その常連の参加校であるこの三つの映画学校で、学生たちによる合作映画を作ることはできないか、ということが、何年か話し合われていた。はじめはそれは多分に空想的な話だったが、たまたま2009年が横浜開港150年であり、横浜市にその記念映画の製作を援助したいという意向があることを知ってその夢が具体化した。

 

北京電影学院は張芸謀や陳凱敬など中国映画の今を背負う巨匠たちを輩出した名門校であり、多分、規模において世界最大の国立の映画学校である。韓国フィルムアカデミーは逆に極端な少数精鋭主義の小規模校だが、やはり準国立の映画委員会の下にあって、その豊富な公的資金によって全学生が最新の機材を使いこなせるなど、徹底したエリート主義の教育をやって卒業生たちが続々と相次いで優秀な作品を生んで、韓国映画の世代交代のひとつの原動力となった。日本映画学校としては正に、相手にとって不足はない、というところである。

 

スポンサーとしての横浜市から示された条件は港についての映画、ということだった。会議を重ねて、日本は横浜、中国は青島、韓国は仁川を舞台にした短編のドラマ作品を作り、これでオムニバスの長篇にしようということになった。日本はストーリーを公募し、中国と韓国には、それぞれ学校側で選んだ学生の監督たちに自由にシナリオをかいてもらった。学生作品といっても、学生たちは実際にはそれぞれ学校のカリキュラムで手いっぱいである。実際には卒業制作で監督として注目された学生が卒業後の第一作として脚本と監督に当り、在学中のスタッフたちと一緒に作るというかたちになった。教師がプロデューサーとして全体を指導した。

 

さて、こういうやり方でどういう映画が出来るか。出発点では見当もつかない。その見当もつかないところにわれわれは賭けた。日本と中国と韓国と、この複雑で厳しい歴史で結ばれ、近年ようやくまっとうな友情が成立つようになった東アジアの三ヵ国の青年たちが、実力的に平等と目される映画づくりという方法で互いの心と芸を示し合う。それだけで何かワクワクするではないか。さあ、どういうメッセージや心意気がそこに交信されるだろうか。

 

(日本映画学校 校長)

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