2009.07.28

Category:OB

「26年目のスタート」並木浩士(映画監督)

 

卒業して以来、26年ぶりに学校へ。
教務課に入ると「並木!」と数人に声をかけられ「えっ?」と思った。
学生のころより20キロも太り、すっかりおじさんに成り果てた自分を、「覚えていてくれた!」ことがとてもうれしかった。

 

僕の学生当時、学校は横浜駅東口「スカイビル」の中、現在と比べものにならない貧しい施設だった。
ただ学生にも講師にも妙な熱気があって、その熱の中で暮らすのがとても心地よかった。
学校へ行くのが大好きで一日も休まず学校へ通った。
新百合ヶ丘の校舎に入ってその「熱」が変わらず感じられた。
懐かしい空気だった。学生時代の(概ね辛い)思い出が次々と頭をよぎる。

 

僕はとってもダメな学生で、卒業制作では出来の悪さに今村元校長をあきれさせ、別な実習では井上和男監督に「映画をなめるな」と怒鳴られ、温厚な大庭秀雄監督を激怒させ、でも根拠のない自信だけはあり、真面目につっぱっていた。
今思えば、あのあまりに幼さない行動につきあって下さった講師・監督たちに感謝するし、思い出すとホント恥ずかしい…。

 

そんなダメな生徒が映画監督と称することになった。
DVD用に制作した「猿田彦土中神社」というドキュメンタリー作品が映画館で上映されることになった。

 

主人公は鈴木寅二啓之という画家。彼は、和紙に墨で描いてその絵画を百日土に埋める。
絵画は土中のバクテリアによって不思議な絵柄を獲得する。土と格闘するその制作過程が極めて特殊な内容で、ものすごく興味を引く。
2008年、鈴木寅二啓之が伊勢の猿田彦神社の境内に、「猿田彦土中神社」という祠を建て、その天井に絵画を展示するという美術イベントを行った。
伊勢に通い詰めた記録映像がこの度上映の運びとなった。

 

卒業から四半世紀、映画に憧れ続けて業界の片隅にかじりつき、やっと映像製作会社を創るが映画制作とはほど遠く、もがきにもがいて今回のチャンスとなった。
今回、映画監督という称号は棚ぼたみたいなもので、この作品をもって夢が叶ったとは思ってないが、やっとスタートラインに立った気分だ。

 

僕の学生時代、外国映画史の授業を淀川長治さんが言っていた。
淀川さんの「やれば出来る。やれば夢はかなう。」という口癖を思い出す。
こんなダメ生徒の僕でもなんとかなってきた。
行く末を悩んでいる生徒・卒業生多いと思うけど、続けたい気持ちが残っているならもう一踏ん張りがんばろう。
必死でがんばるしかないけど、がんばり抜くと人生ひらけていくよ。

 

(横浜放送映画専門学院 映像科7期生)

 

>> アンダーウォーターヴィジュアル株式会社
>> 映画「猿田彦土中神社」公式サイト

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