2009.11.17

Category:OB

「考えるキッカケとしてのドキュメンタリー映画」都鳥拓也(映画プロデューサー)

 

新聞記者「児童虐待を無くすためにはどうしたらい良いのでしょうか?」

 

僕「一人ひとりが自分自身の家庭や、周りの家庭や子ども達に関心を持つことです。
この映画をキッカケにして、観て下さった人たちが意識を持って生活をしていくことがその第一歩になるのだと思います。
そこから色々な問題が無くなっていくのだと思います」

 

僕がプロデューサーを努めた第2作目のドキュメンタリー映画『葦牙-あしかび- 子どもが拓く未来』の舞台になった、
岩手県盛岡市で行われた完成披露記者会見でのひとコマだ。
『葦牙-あしかび-』は盛岡市にある児童養護施設「みちのくみどり学園」を撮影した作品である。
入所定員は86名。かつては喘息などの虚弱児などを対象にした施設だったが、
現在は親や周囲の人たちから“虐待”を受けた子ども達が増加している。
みちのくみどり学園の映画という限定したものではなく、施設で生活する子ども達の様子や、
そこで働く職員の姿を通して、児童虐待や育児放棄といった行為にさらされる現代社会における子ども達の現状を知ってもらおうと制作に踏み切った作品である。

 

記者会見のときにある記者の質問に答えたのが、最初に書いたやり取りだ。
僕も含めて、映画スタッフは児童虐待などの専門家でもないし、カウンセラーでもない。
具体的な“児童虐待の解決方法”を尋ねられても「こうだ!」というハッキリとした結論など出せるわけがない。それでは何故、映画なんか作ったのか?

 

それは、映画をキッカケにもう一度、自分達に引き寄せて、一人ひとりがこうした問題を真剣に考える機会を持って欲しかったからだ。
ドキュメンタリーは人の生活をカメラを通して切り取ったものだ。
だから、映画の撮影のあともそれぞれの生活は続いていくし、映画のメインにはならなかった周囲の人達の生活もある。
だから、明確な答えは見えない。ただ、生活が継続していくことだけを暗示して映画は幕を閉じる。
でも、「現実の生活の一端をまとめたもの」であるから、どこかに自分の生活と引き寄せられる部分があるのではないかと思う。
だから、映画を観た後にそれぞれが「考える」ことが出来るのではないか? 
だから、他人事で終わらせないことが出来るのではないか? そう思うのである。
だから、僕は「一人ひとりが意識することです」と答えた。

 

児童虐待というと、「もう親子が再生出来ない」、「子ども達は心に陰残なトラウマを抱えているのではないか」
と考える人も多いのではないだろうか?でも違う。

 

子ども達は一見、普通の元気な子ども達と変わらない。むしろ、もしかしたら、一般の家庭で生活する子ども達よりタフでたくましいかもしれない。
そして、インタビューに答えてある高校生が語る、「自分達の世代で虐待を断ち切りたい」と。
まだ、この問題自体に注目が集まったのは最近のことである。
だから、11月が児童虐待防止推進月間であることも知らないし、親から離れた子ども達がどんな風に育つのかも知らない人が多いと思う。
だから、こういった映画を作って伝えていくことが必要なのではないかというのがスタートだった。

 

監督は記録映画界の巨匠・土本典昭監督の助監督を務め、僕の初プロデューサー作品でもお世話になった小池征人監督。

 

そして製作総指揮には映画学校の恩師・武重邦夫氏。今村昌平監督の片腕だった方だ。
武重さんの「子ども達は未来だ。でも、今の日本で未来殺しが始まっている。
だから、子ども達のための映画を作ろう」という言葉で前作『いのちの作法』のスタッフが再集結した。

 

もし、このコラムを読んで少しでも心に残った方、興味を持った方はぜひ、劇場に足を運んで下さい。
子ども達の声に耳を傾けて下さい。
きっとそこから多くのことが見えてくると思います。
(日本映画学校 映像科16期生)

 

記録映画『葦牙-あしかび- こどもが拓く未来』
>>公式サイト

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