2010.01.19

Category:OB

「映画と演劇」渡辺紘文(演出家)

 

「舞台やるって、お前、舞台見たことあるのか」
「昔、無名塾の芝居を見たことがあります。アッ! それに師匠の芝居は勿論拝見させていただきました」
「お前、俺の芝居と無名塾の芝居を見たことがあるだけで演出なんてできると思ってんのか」
「アッ、アノッ、ソノッ・・・」
「何だよ、落ち着けよ、何なんだお前は」
「すすす、スミマセン」
「お前、戯曲は読んでるのか」
「は、ハイッ! もちろん読んでます!」
「何読んでんだ」
「シェ、シェ、シェ、シェ、シェッ、シェイクスピア!」
「バカヤローッ!」
「ヒエーッ!」
「今時シェイクスピアを読んで脚本書くヤツが何処の世界にいるんだ!」
そして師匠は頭が痛くなってきたと言い残し電話を切った。

 

戦後最後の無頼派、色川武大の「狂人日記」を舞台化する。
演劇というものから恥ずかしいほど縁遠い僕に、俳優の松浦祐也から、その話が来たのは去年の初夏頃であったと思う。
映画が自分の畑だと勝手に思い込んでる自分にとって、舞台を創ることの大変さは全く未知の領域だった。
しかし、実際に脚本に着手してみると、その難しさをすぐに実感した。大体、原作自体が途方も無く難しい。
純文学作品としてあまりにも完璧すぎて、視覚化した時の面白さを何処に見出せばいいのか見当がつかない。
舞台には舞台のルールがある。空間があり、呼吸があり、制約がある。
何だかんだ言っても矢張りあるのだと、僕は思う。
結局、脚本完成は予定より大幅に遅れることになり、更に稽古が実際に開始されてからも、様々な問題が一気に噴出してきた。
―地獄だと思った。
もう無理だ、諦めよう、逃げようと思ったことが無いといえば嘘になる。

 

最悪なことに、僕は演劇のことを何も知らなかった。
演劇に関して、僕の引き出しはあまりにも空っぽだった。
ヤバイと思い、限られた時間の中で必死に勉強した。
しかし、演劇について知れば知るほど、勉強すればするほど自分の無知さ、無能さに絶望し、腹が立ち、愕然となった。

 

よくよく考えて見れば、映画を創ろうとする人間が演劇のことを何も知らないというのは恐ろしいことだし、非常に危険なことだと思う。
これは、もしかしたら自分があまりに不勉強な人間ゆえに必要以上に驚いた個人的な小さな問題に過ぎず、多くの人は映画と演劇の関係について、もっと真剣に、当然あるべきものとして、日常的に考えているのかもしれない。
しかし、恥ずかしいことに、僕は違った。
僕は映画を作る人間として“映画と舞台は関係のないベツノモノダと致命的な錯覚をしているような”あまりにも視野が狭い人間だったのである。
現在、僕は深く反省し、映画と演劇というものをゼロから見つめ直している。
舞台「狂人日記」は間もなく幕が開く。日々、新しい課題が次々と生まれ、不安になり、煙草を吸いすぎ、肺が痛くなり、夜は眠れず、ストレスで過食に拍車が掛かり、胃に穴が空き、血尿が出て、発狂しそうになりながらも、色川武大さんの世界を自分達なりに表現し、良い舞台を創りあげようと、情熱のあるキャスト、スタッフと共に、のたうちまわっている。

 

それは苦しいけれど、面白い。面白くて、面白くて仕方が無い。
結果なんてどう転ぶかは分からない。
失敗したら失敗しただ。
俺は恥を掻いてでもどんどん成長してやるんだ、と思う。

 

去る、2009年の12月、僕は田舎から一年振りに上京し師匠の舞台を手伝わせて頂くという貴重な機会を与えてもらった。
舞台経験の全く無い僕に、本物の演劇を見せてくれた、勉強させてくれた、優しい師匠には本当に感謝している。
そこでプロの演劇に触れさせて貰いながら僕は本当に多くのことを学ぶことができた。その時に、印象的だった師匠の言葉が二つある。
「まあ、お前みたいなセンスの無いデブに言っても仕様がないことなんだけどな」
「すみません」
「僕はね、映画監督は、舞台の演出もするべきだと、絶対的にするべきだと、そういう考えなわけですよ」
「はい」
「何でか分かるか。分からないよな、お前なんかには」
「すみません。分からないです。何故ですか」
「世界を舞台に戦っている凄い奴らは皆、そうしてるだろ」
もう一つ。
「何、お前、パンなんか食ってんだ」
「すみません・・・モゴモゴ」
「デブがパンを食いながら俺を見ている。こんなに不愉快なことはない」
(日本映画学校 映像科20期生)

 

>>演劇公演「狂人日記」

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