2010.05.11

Category:OB

「映画」という人生の選択 小野さやか(映画監督)

 

「映画の才能がない人はどうすればいいですか?」
日本映画学校の一日体験入学で17歳の私は聞いた。
愛媛の片田舎でレンタルビデオ屋と家と学校の往復生活をしていた。昨日観た映画の何がよかったか、語りあう友達もいなかった。キラキラした銀幕世界に没入する私に、映画を作る道のりは全く見えなかった。千葉茂樹監督は言った。
「何を才能というのか・・・・諦めないことも一つの才能だと思います」
私はその一言で映画の世界に飛び込むことに決めた。

 

日本映画学校に入って私は急激に目が覚めた。
出来上がった形で商品化されパッケージ化され、観客に届けられる「映画」。「映画」は田舎者の私にとってきらびやかで豪華絢爛夢の世界の極みだった。私は、映画に恋をしすぎて盲目になっていた。
映画はカメラのレンズの裏の世界に支えられていた。スクリーンに映らないものたちが映画を形作っていた。監督、制作、撮影、録音、編集、脚本、照明、音楽、美術、衣装・・・たくさんの人の生活を支え、たくさんの人の思いを込めて映画が作られている。そこには、映画を夢の具現化ほどにしか捉えていなかった私に、映画も社会のシステムの中の一部であることを思い知らせた。私は、19歳の小娘だった。夢の世界はあっけなく打ち壊された。
実際に学校に入ってみると、私は授業のカリキュラムをこなすので精一杯だった。自分の幻想世界の肥大化をどう肥やせばいいかわからず、一人暮らしの家でうんうん唸る毎日だった。映画は面倒くさいことの積み重ねだ。自分で考えて動かないと何も進まない。自分のせまい世界をさっさと捨て去ることでしか始まらない。
私は映画学校の卒業制作で「アヒルの子」という映画を撮った。私の家族と幸福会ヤマギシ会を撮った。卒業制作としては異例の74分の長編作品として完成した。全精力を懸けて制作した映画は、海外の映画祭にも招待され、たくさんの反響があった。しかし、私はレンズの裏の世界に押し潰された。映画に少しでも隙があると、誰かがそこをついてくる。「実際の人物を映画にしたことで、家族に対する責任は??」「この作品には倫理がない」「甘えだ」観客の一言一言を私の全人格否定と受け止めた。
作品の公開までに5年かかったのは、人生が映画に引きこまれてしまったからだ。映画の中の時間が止まっているのを、自分の人生と錯覚し、次へ進む一歩が出なくなった。
その間、一度私から離れた映画は人々の元でいろんな形を作った。私は出来上がった映画の手を離せずにひやひやした。あの頃、私にとって映画は全てだった。私は映画の中に居た。でも今は映画に寄り添いながら、完成した作品を劇場公開することにした。今も私は映画の中に飛び込んで身動きがとれなくなる恐怖を忘れてない。映画から逃げだしたくなるとき、私はいつも思う。時間がかかってもいい。形にしたほうがいい。映画を諦めないでいい。私はそうして映画と添い遂げることに決めた。
ぜひ「アヒルの子」を観てください。
(日本映画学校 映像科17期生)

 

「アヒルの子」HP http://ahiru-no-ko.com/
5月22日(土)~モーニング&イブニングショー
ポレポレ東中野にて劇場公開です。
トークゲストが超豪華です。HPをご覧ください!!

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