2010.05.18

Category:OB

「最初の目標はルイ・マルの25歳だった」川口浩史(映画監督)

 

高校卒業後すぐに世界一周旅行に独りで出かけた。
当時、進学校に通っていた自分は本当にこのまま同級生達と同じように大学に進学していいのか迷っていた。
1年間好きなことをしてその時まだ大学に行きたければ、受験すればいいやと開き直った。

 

約100日間、延べ25カ国を放浪した旅は刺激的だった。
1989年という激動の年だったことも起因している。
帰国後まもなくして映画監督になる決意をした。
18歳だった。
訪問したどんな国・地域にも映画館があった。
他文化を人間ドラマで体感し、自文化の創造に繋げている観客達との交流に心動かされた。
「日本から文化を発信したい」
何の伝も無く映画を作る現場に入るためにはどうしたらいいのだろう?
キネマ旬報を読んでいたら「日本映画学校」の校名が目に入った。

 

面接官の富田義朗先生に
「映画は集団芸術だよ。単独行動が多い君に出来るかい?」
と問われた。
映画学校では脚本を学ぶことに専念した。
アルバイトでTVドラマの美術を担当していたから現場で学べないものは「設計図」作りだと決めていた。
社会不適応者であった自分にとって一般社会では出会えないような講師陣の個性豊なキャラクターに心和んだことを覚えている。
そして何よりも山内久先生、石堂淑朗先生の脚本分析には目を見張った。

 

卒業して11年間助監督を勤めさせてもらった。
日本映画の製作本数がかなり少なかった90年代から昭和30年代の黄金期を超える興行収入を稼ぐまでなった昨今の現場の中で必死に映画を作ってきた。
人間関係が希簿化する社会で大勢の人間が一つのもの創出することに興奮を覚える。
映画は集団芸術、まだまだ映画の可能性は計り知れない。
尊敬する先達たちの背中を追いかけながら誓った夢を40歳になる今年、実現する。
映画「トロッコ」、銀座シネスイッチで5月22日から
映画「チョルラの詩」、シネマート六本木で6月12日から公開します。
(日本映画学校 映像科5期生)

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