2010.06.08

Category:OB

「写し鏡の映画」早坂伸(カメラマン)

 

「人間はいかにスケベェなものか、人間はいかに厭らしいものか、汚らしいか。そして人間はいかに美しいものか」–。
故・今村昌平監督から何度も聞かされた言葉だ。学生の当時は「なるほど」ぐらいにしか受け止めていなかったような気がする。
画を撮りながら
「この作品は誰のためにあるのだろう」
と考えることがある。
観客であったり、スポンサーであったり、監督、プロデューサーであったり。
映画を撮ることを糧にするものにとって
「仕事だから…」
と言い訳しどれだけ魂を犠牲にしてきたことか。

 

クリエーターにとって「表現」と「収入」は大抵自家撞着する。
ここに「自分のために」撮られた作品がある。私は自分が撮影した作品をあまり見返さない。
反省点ばかりが目につき居心地が悪いからだ。しかしこの作品は違った。撮影後積極的に見返したのだ。
欠点がない訳ではない。ただ
「なぜこの作品が自分を魅了するのだろう」
という回答を欲していた。

 

作品は『結び目』という。
このちょっと気恥ずかしい題名の映画には、一“映画人”として忘れかけていた(あえて忘れようとしていた)純粋な映画の佇まいがあった。
監督は小沼雄一、脚本 港岳彦、編集 前嶌健治――この三人は映画学校7期で11期の自分にとって4期先輩にあたる。
もともと港氏の頭の中にあった企画を小沼監督がアムモの小田プロデューサーに持ちかけた。
小田プロデューサーも元々文学映画青年で
「せっかく映画の仕事してるのだから、商業作品だけではなく自分のやりたいことやりたいよね」
という言葉一つでこの商業主義から逸脱した映画はスタートした。

 

最初に準備稿に目を通し、
「今どきよくこんな地味な映画を撮るなあ」
と思うと同時に
「こういう作品こそ創られなければならない」
と使命感を得た。
極めて低予算ということもあるが、スタッフ顔合わせと同時に予算表が配られるという前代未聞のこともあった。
ギャラは一般作には到底及ばない金額でありながら、撮影期間はこの予算では考えられない9日間。
撮影部自分ひとり、照明部ひとり、録音部二人。機材車は自分の車。運転も自分。

 

キャスティングも何も決まっていないところから出発した。
この企画に賛同してくれ、ギャラを受け入れつつ、尚且つ演技力を持つ役者――そういった中で主演の赤澤ムック、川本淳市、広澤草、三浦誠己、辰巳琢郎、上田耕一に集まっていただいた。
カメラはデジタル一眼カメラNikonD90での挑戦。その技術的ないきさつはいくつかの雑誌などに寄稿してますのでそちらを参照していただきたい。

 

この映画の登場人物はとてつもなく凡庸だ。
義父の面倒を見ている主婦、浮気性なその夫、クリーニング屋の亭主、その女房ーー。
恐らく自分がこの作品の登場人物達に惹かれるのは、彼らが必死に自分の「生活」と闘い、真剣に「人生」を歩んでいるからだ。
ただその人生も単純な一本道ではない。迂回したり、わざと寄り道したくなることもある。
この映画はその一本道の“つまずき”を描いたものと言えるかもしれない。

 

登場人物たちは皆どこかしら薄汚い。
生活疲れからなのか、その饐えた臭いが漂ってくる。
それでも彼らは他者に依存しながらも自分を肯定してゆく。そこがたまらなく美しいと思える自分がいる。
「あの映画の中にいるのは自分だ」
と思えたのは初めてかもしれない。だから私はこの作品を見返すのだろう。自分と会うために。
このような映画が数多く日本で創られるようになることを心から望んでいる。
望むだけではなく自分でも創って行こう。賛同される方はご連絡お待ちしてます。

 

映画『結び目』6月26日よりシアターイメージフォーラムでモーニング&レイトショー公開
公式HP http://musubime.amumo.jp

 

(日本映画学校 映像科11期生)

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