2010.07.13

Category:学生

「もっと愚直に」遠藤祐輝(映像科1年)

 

一ヶ月という短い期間であったが、「人間研究」(入学後最初の研究実習)は、非常に密度の濃い30日間だったと感じた。
今回私が副プロデューサーを務めた河本クラスB班では、80歳の前衛書道家の先生を対象として取材を続けてきた。
しかし人間研究の序盤では形式的な質問ばかりぶつけていたために、何も彼の人間性に迫る内容を得ることができなかった。
私は今まで広く浅い付き合いしかしてこなかったために、どうしても一人の、個の人間を突き詰める行為ができなかったからだ。
そのような状況でも刻一刻と人間研究発表の期限は迫ってくる。

 

書道家の先生からは何も聞けていない状態。
まさに窮地に立たされ追い込まれた私は、何を思ったか習字セットを買い求め、自ら書(みたいなもの)を書き、取材用の機材すら持たずに書道家の先生の自宅に訪れた。
私は厚かましくもその書(みたいなもの)を書道家の先生の前で広げると、先生は今までのインタビューでは見せなかった柔和な表情で批評をしてくれた。

 

そしてその3日後のラストインタビューでは前衛書道家としての創作のルーツと、彼の人間性に多少なりとも迫る内容を得ることができた。
後日、担任の先生から『お前がこんなことする奴だと思わなかった』と何度も言われた。
私自身も今冷静に考えると『よくあんなことしたなぁ』と思ってしまう。
私は大学時代、波風立てないのが美徳、本音を語らないのが美徳であると考え過ごしてきたが、この学校でそれは通じないのだと実感した。

 

ましてや今回のように一人の人間を探究する際に自らを閉じていては何も始まらない。
本音をぶつけ合うことから全てはスタートし、そこから何かが生まれていくのだと理解した。

 

何をぶつけ、そこから何を得るのか。それこそが人間関係で一番大事なポイントだと私はこの一ヶ月間で学んだ。
同様に自らの狭い視野も少しは広がったと思う。
しかし私の一連の行動が、ただ熱に浮かれた一過性の行為だったのか、それとも真から出た行為なのか、と不安に駆られることもある。

 

けれども今後この学校で学び、脚本実習に入る前段階として人間研究を経験できたのは大きなステップであることは間違いない。
少なくとも意識の叩き上げはできたと自覚できる。
当初はこの人間研究を単なるワンクッション程度にしか認識していなかった。
つまりこの学校を甘く見ていたのだ。色々とごめんなさい。

 

(日本映画学校 映像科25期生)

 

 

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