2010.12.21

Category:学生

「チーム」 田崎絵美(日本映画学校 映像科3年)

 

「人とつくる」ってなんでこんな厄介なんだろう。
映画学校に入ってからというもの、そんな事ばかり感じてため息をついている。
この学校に入る前、美術を学ぶ学生だった私は、一人でものづくりをしていた。
どでかい油絵を描いたり、写真を撮って自分で現像、パネルにしたり、漫画を描
いたり。すべて自分だけの作業。そのころは人とモノをつくる事にちょっとした
幻想を抱いていた。
自分一人でつくることができるなら、複数の人で1つのものをつくった時、それは
もうとんでもないパワーがあるものができるんじゃないか。と。

 

私が在籍するのはジャーナルゼミ。2年の2月から卒業制作の取材を始め、今は〆
切を気にしながら慌ただしく作業を進めている。班員は自分を含めて3人。たった3
人で限られた時間の中で膨大な仕事をこなす。少人数な分だけひとりひとりの持
つ責任も仕事も自然と大きくなる。

 

複数で1つのものを作るには、チーム内の共通認識がとても大切だ。
どんなテーマで、ねらいで、何を描くのか、どんな作品にしたいのか。監督だけ
がわかっていればいい、なんてことはない。仕事が大きい分、これを全員が理解
してそれぞれの仕事をしないと、作品がちぐはぐになり、ぶれる。

 

共通認識を持つためには何度も何度も話し合う。放ったらかしておくと、一人だ
け、もしくはみんなバラバラと別な方向に歩いていってしまう。だから話し合い
の場で、その都度軌道修正したり新たな提案をしたりして、1本の道をみんなで歩
かなくてはいけない。これが実際、そう簡単にいくことじゃない。

 

そもそもな話、年齢は近いがそれぞれが今まで歩んで来た人生が違う。
過ごした土地、親、教育、出会い、経験。
そこから育った感性も、価値観も、知識も、考え方も、常識も、言葉の使い方も
、ひとりひとり違っている。同じ現場で見たはずのものも、捉え方がまるで違う
時もある。そこが複数でモノをつくる、おもしろさでもあり、またかなり厄介な
部分でもある。
他人の意見で「ああ、それおもしろいね」「そういうことか」と作品が良くなる
方にスムーズにことが運ぶのが理想的だけれど、実際は必死に言葉を選んで説明
しても伝わらない、とか理解できない、とかの方がしょっちゅうだ。

 

「なんでこんなこともわからないんだよ!」「いやいや、そういう意味じゃなく
て!」
昼下がりのカフェで傍迷惑にもケンカもした。暴言を吐いたし吐かれた事もあっ
た。伝わらない、という事は言葉の使い方が上手くない自分にも非がある。だけ
れども一緒にモノをつくる仲間から「わからない」そのひとことで切り捨てられ
ることは本当に苦しい。正直に言うと、自分に日々溜まるストレスの約80%はこの
内部、つまりチームに起因している。夜も眠れないとか、撮影中、発作的に胃痛
が襲って来たときもあった。今でもこれを書きながら、胃がキリキリしている。
ほんとうに……厄介だ。

 

みんながバラバラなままでは一つの作品は作れない。こんなヤツと一緒に作って
られるか、と何度も逃げ出したくなった。でも逃げられない、ということは自分
が一番わかっていた。

 

私が逃げたら作品は完成しない。自分が担う仕事の責任があるから、というのも
ひとつある。
けれど一番は生活の時間を割いてまで、撮影させて頂いている対象者の存在があ
るということ。
対象者の方々は、ほんとうにみんな魅力的で、そしてとてもやさしい。
お金がなくて毎日必死に働く人もいる。辛い過去を背負って来た人もいる。
そんな人達の好意も、紡ぐ言葉も、こちらの事情で無下になんて絶対にできない

 

苦しいけれど、胃が痛いけれど、それでも完成まではこのチームでつくる。
卒業したらもうサヨナラだ。もう二度とこのメンバーで一緒に作品をつくりたく
ないなと思う。
だけど今は、やる。それしかない。戦いつつ耐えつつ。

 

完成まで遮二無二、がんばってきます。

 

(日本映画学校 映像科23期生)

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