2011.01.11

Category:学生

「山」 牧野名雄 (日本映画学校 映像科3年)

 

一体、どの辺りまで登ってきたのだろうか。

 

ふと思い、立ち止まって登ってきた道を振り返る。登山口の景色とは変わり、鬱蒼とした木々が周りを取り囲んでいる。人影はない。この山に登り始めてから誰ともすれ違わなかった。

 

そもそも、なぜこの山を登ろうかと思ったかと言うと、ただ単に興味があったからだ。山を登るのはどんな気分なんだろう、一体どんな景色が広がっているのだろう……。
そして、ろくな装備も身に付けないまま、この山を登り始めた。名前も標高もよく知らない。とにかく登ってみたかった。
登山の理由はそれだけで十分だった。別に明確な目的があったわけではない。山の雰囲気をこの身で感じたかった。

 

登り始めてからは楽しかった。見たことがない景色に目を奪われ、美しい清流に両足をつけ、のんびり休憩した。
しかし、今はそんな余裕などなくなっている。両の足がぎしぎしと悲鳴を上げ、歩くたびに足の裏が痛む。履き潰したスニーカーはつま先が破れ、パカパカと音を立てる。
気候も太陽が沈んでいくのと共にずいぶん様変わりした。寒さで震え、歯がカチカチと鳴り、両指の感覚もない。
もっと厚着してくればよかったと後悔してももう遅い。水もなくなった。こんなことなら川で汲んでおけばよかった。

 

緩慢な足取りで登っていると、ふっと足の力が抜け、転倒した。派手に転んだせいで掌の皮がすりむける。木々がざわざわと音を立て、まるでこんな自分を山が嘲け笑っているかのようだった。
ゆっくりと立ち上がろうとする。だが、全身に全く力が入らない。おかしい。
上半身を必死に持ち上げるも、力尽き崩れ落ちる。全身が気だるい。体の全ての機能がストップしてしまったかのようだ。

 

……なんか、もういいや。十分だよ、ここまで登ったんだし。登りきったからって何になるんだ。なんで、登ってきちゃったかな、こんなところまで。こんなことになるんなら途中で引き返せばよかったなぁ。中途半端だなぁ。こんなとこで一人で死ぬのかな、俺。

 

なぜだか無性に寂しくなり、泣きそうになっていると、足音が聞こえる。
顔を上げると、目の前に男が立っていた。もうすっかり日が落ちて暗くなっているので顔は良く分からない。熊を連想させるような、恰幅のある体型をしている。
男は隣に膝を付くと、自分の体に両腕を回して、力強く抱き起こしてくれた。大丈夫か、と聞かれたので、大丈夫です、ととりあえず返した。
男は、無理はするなよ、と言い残し、山道を登っていった。自分は、その後姿をじっと見送った。

 

しばらく、そのまま立ち尽くしていたが、ふと両足に力が戻っていることに気付いた。
足を踏み出してみる。いける。まだまだ歩ける。

 

再び、山頂に向かって歩き出した。なぜ、また歩く気になったのだろうか。この状況で人に優しくされたから? それとも、黙々と歩いていく男の背中に、自分でもよく分からない心の奥底の何かが反応したのかも知れない。
周りは暗闇に包まれており、かろうじて進むべき道が見えている。相も変わらず足は痛いし、すりむいた掌がひりひりと痛い。しかし、なぜか足は前へ前へと進んでいく。登りきろう。あとどのくらいで山頂なのか見当もつかない。だけど、登ろう。

 

道の先を見ると、途中で途切れているのがおぼろげに分かる。どうやら、開けた場所のようだ。果たして山頂なのか、あるいはまだ中腹に過ぎないのかもしれない。

 

さっきの人はどこまで登ったのだろうか。もうずいぶん先まで行ってしまったかもしれない。
もし、追いつけたなら話をしてみたかった。こんな時間に山に登ってどうしたんですか、一人で登って寂しくないんですか、家族は、友達は。

 

一歩づつ着実に登っていく。遅くてもいい。一歩づつ。道が段々と険しくなっている。ちょっとあそこまでたどり着くのは時間がかかりそうだ。
足を滑らしそうになって慌てて踏みとどまる。限界か。いやまだ。

 

顔を上げて先を見る。遠い。まだまだ遠い。

 

そして、一度深呼吸すると、また足を踏み出していく。
一歩づつでいい。焦るな。一歩づつ、一歩づつ。しっかりと。

 

(日本映画学校 映像科23期生)

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