2011.11.29

Category:OB

「10年後……」都鳥拓也(ドキュメンタリー映画『希望のシグナル 自殺防止最前 線からの提言』企画・製作・撮影・編集)

 

2001年4月、高校を卒業した僕たちは「ようやく好きなことが出来る」という思いを
胸に日本映画学校に16期生として入学した。小学校のころからビデオカメラを手にし、
特撮映画の真似事をしたり、高校時代にはそれなりのドラマっぽい作品を作って
コンテストなどに応募してみたりしていたので、思い切り好きなことに専念出来る学校
というのはとても魅力的だった。しかも、講師陣はみんなプロ。
資料をよく読んでみると、好きな映画のスタッフなどもいたりする。将来的には
自分の映画を世の中に送り出したいと考えていた僕たちにとって、日本映画学校への
入学は大きな一歩に感じていた。

 

それから10年、双子の弟・都鳥伸也が監督をして、僕が撮影をしたドキュメンタリー
映画『希望のシグナル』(http://ksignal-cinema.main.jp)が完成した。
日本でも最も自殺率が高い(厚生労働省発表のデータによる)秋田県で行われている、
民間団体による自殺対策運動を記録した作品である。
2008年に製作した『いのちの作法』、そして2009年に製作した『葦牙-あしかび-
こどもが拓く未来』という二本のプロデューサー作品に続いて三本目。
そして、作品全体の撮影から編集、公開までを統括するはじめての作品だ。

 

「自殺」というと非常に難しく、個人個人の原因を追求したり、遺族の声を聞き、
「なぜ、彼・彼女たちは自殺してしまったんだろう」と考えると迷路に迷い込んで
しまったような状態になってしまう。「死」から見ていくことは、生きている
人たちの推測でしか語れないからいつまでも答えは見つからない。
では、自殺対策とはなんなのか?
難しいようだが、意外とシンプルなことでもあるのではないかと僕たちは考えた。
「どういう環境にあれば、人は死にたいと思わないか」を意識するのである。
分かりやすく言うと、どうあれば人は「生きていて楽しいと思うか」を考えるのだ。
僕は製作当初に書いた文章に「自殺対策とは生きる支援である」と書いている。
色んな問題が重なり合い、「死」という選択肢しか見えなくなる前に、周囲がどう
助けていけるのか? そこがポイントなのである。

『希望のシグナル』には大きく、「地域づくりによって住民達の交流の場を持ち
つながりを持てる場所を作る活動」、「精神障害者への居場所づくり・相談活動・
社会参加のための啓発活動」、「経営者とその家族への相談活動」、「自死遺族の
ための活動」の四つが紹介されている。様々な問題が重複し、追い詰められることで
自殺へ向かうのだから、色んな視点からのセーフティネットが必要だ。

 

決して、映画を観たから、それで困っている人・悩んでいる人が救われるわけでは
ないかもしれない。でも、普段、普通に生きている我々がもう一度、周囲の友達や
家族・恋人、会社の同僚などなどの自分に関わる人々を見つめ直し、生き方を考え直す
ヒントになるのではないか、と思っている。
社会は結局のところ、ひとりひとりの個人の意識で出来上がっているのだから、
社会の大きな問題を解決していくのも、個人の意識によるのではないだろうか?

 

映画は完成しただけでは、終わらない。
公開し、観客に届いて初めて映画は映画になるのである。もしかしたら、作っている
間は準備期間であり、観客に届けるところからが始まりなのかもしれない。

 

『希望のシグナル』は2012年3月に映画の舞台である秋田県、そして僕たちが拠点を
置く岩手県の先行上映から公開がスタートする。東京には6月ころにお届けしたいと
考えている。

 

これまでの仕事の発展で、僕たちは地元・岩手県北上市に拠点として「ロングラン・
映像メディア事業部」(http://longrun.main.jp)を設立した。映像の製作・配給のほか、
色んな人たちが作ったドキュメンタリー映画の地域配給やVP・展示映像の製作も
請け負っている。
『希望のシグナル』はそこから発表する最初の作品でもある。
10年前の自分はこうした展開を想像していただろうか? そもそも、劇映画を志望
していながら、今はドキュメンタリーを作り、「嫌いだ」と言って出て行った地元に戻り、
映像を中心に活動している。

 

シナリオの授業でもよく先生たちが言うことだが、人の生き方とは「予定調和」では
収まらない。

 

今、学生である人たち。これから日本映画大学に入学したいと思っている人たち。
映画で生きることは大変だ。でも、想像もつかない面白いことも待っている。

 

映画は自由だ。

 

(日本映画学校 映像科16期生)

 

 

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