2012.12.25

Category:OB

「新百合ヶ丘の思い出」平松多一(劇団民藝 制作部)

「新百合ヶ丘の思い出」平松多一(劇団民藝 制作部)

 

高校をさぼって逆方向の電車に乗った。

池袋の文芸坐で、「第三の男」と「シェーン」の二本立てをやるのをぴあでチェックしていて、どうしても観たかったのだ。

一年生の二学期ともなれば、学業から完全にドロップアウトしていた。

毎日、通ってはいたが、それはブラスバンド部でラッパを吹くためであり、音楽室でマイルスやコルトレーンのレコードをかけてモダンジャズにひたるためであった。

 

村上春樹が「風の歌を訊け」で文壇に登場してから数年がたっていて、そのストーリーとわが身を比べ

「俺の青春はなんてダサいんだ」

と思った。

あっちは神戸、俺は埼玉、熊谷だしな。

そんな高校生に、進学先も就職口もなかった。

 

横浜11期、在学中は脚本家の馬場当先生のゼミにいました。

先生の代表作『復習するは我にあり』は、今村昌平監督の傑作ですが、その先生も昨年夏に帰らぬ人となりました。

私は、卒業とほぼ同時に馬場先生の書生となり生活をともにしながら脚本と競輪、パチンコなどのギャンブル、そして悲しいことや辛いことがあってもしぶとく生きぬくことを勉強させてもらいました。

先生の近くにいたのが縁で、20代、30代の大半を映画学校の仕事に明け暮れることになるのですが、思いもよりませんでした。

 

佐藤忠男先生のもとで、『日本映画ノ発見 新宿映画祭』パンフレットを毎年編集。

制作実務もやっていましたので『しんゆり映画祭』立ち上げのとき、武重邦夫先生からスタッフに誘っていただき初代事務局長に。

 

馬場門下の兄弟子、河本瑞貴さん作演出の俳優科卒業公演すべての制作。

青木雄二原作『ナニワ金融道』、梁石日原作『夜を賭けて』、ビートたけし原作『漫才病棟』などを上演、

ことに今村監督の脚本デビュー作でもある『幕末太陽伝』は、歌舞音曲も華やかに青山円形劇場で江戸の遊郭を再現した卒公史上稀にみる一大スペクタクル。

忘れがたい舞台です。

 

学校で出版していた映像総合誌『青』の編集も。阿部和重氏の群像新人賞受賞記念対談などを掲載しました。

「日本人のものつくりの基本は米づくりだ」との今村監督の教えで始まった農村実習にも現地ドライバーで参加、猪苗代、磐梯へ。

めったにないことですが、きついたんぼ仕事に耐えかねた学生が脱走して騒動になったりした年もありました。

「即刻、退学処分とします!」

農家のご主人に土下座せんばかりの今村監督。

「それだけは、勘弁してください今村先生」

と被害者であるご主人は、学生を弁護した。

「この家から退学者をだしたとあっちゃ、末代までの恥です」。

翌日、脱走者は戻ってきた。

 

私は今、劇団民藝の制作部に勤務しています。

メインオフィスと稽古場は、なんと新百合ヶ丘からすぐ近くの黒川にあります。

新宿などの劇場で年5回の本公演。

チケットは学割もありますので気軽にご連絡を。

役者の演技を生で見られる演劇は、映画とはまた違う魅力にあふれています。

もちろん映画と相通じる側面も多分にあり、そのあたりを研究して映画製作に役だててほしいです。

ハリウッドやヨーロッパの映画をみて「かなわないなあ」と思うのは、脚本の質と役者の力でしょうか。

しんゆり発の才能、応援しています。

(横浜放送映画専門学院 映像科11期生)

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