2013.06.11

Category:OB

「地域の皆と世界へ 」林 公平(俳優)

今年で30歳になるが、
映画学校、殺陣教室、ヨサコイ、ひきこもり、ニート、今のミュージカル劇団…
今まで多くの濃い体験をしてきた。

映画学校に入学する前は、引きこもってゲームばかりしてた。
ルックスも悪く、成績も悪い。運動音痴。いじめの的。
教師に、生きてる資格ないと言われる事もあった。
努力しても無視され、人間不信になっていった。

そんな僕が、何故俳優を目指したか?

当時、流行っていたドラマの俳優さんや歌手さんが、
いじめられた経験があると語っていたため、
「俳優をやれば、ドラマのような青春が来る!」と思い、上京した。

夢へのエレベーターに乗った気分だった。
しかし、難問から逃げ、アルバイトもせず、寝てばかりいた。
上手くいかない理由を見つけられず、泣いてばかりだったが、
出会った面白い仲間達と楽しい時間を共有してきた。

当時の僕は、殺陣好きだったので、時代劇俳優を志望していた。
しかし、ボイストレーニングの際、キャッツのメモリーを歌った瞬間、電撃が走った。
よし!この道で行こう!と180゜考えが変わり決意した。
だが…卒業4ヵ月前だった。
卒業した後はヤル気はでず、適当に日雇いのアルバイト。
演劇と映画観劇、ミュージカルCDを聞いたり、映像を見る日々だった。

人間力は、どう身につけたら良いか。
北海道へ帰省した僕は、まずよさこいソーランを始めた。
汗をかく事は、最高に気持ち良かったが、チームには思うように馴染めなかった。
それでも2年踊り、ヨサコイという目標ができ、
アルバイトも続けられる忍耐力はついたが、空虚だった。
自分は、何がしたいのか。

そんな時、「夢を持って行動する事が幸せ」と書いてある本を読んだ。
このまま年をとるなら、好きな事をしよう!
勇気が沸いて、また行動した。25歳の時だった。

そして、ミュージカル劇団に出会い入団する。
永遠と続くターンの練習にフラフラ、身体は硬い、
歌も声が良いだけで声量も足りなく、滑舌も悪い。

劇団の企画で、市民参加型の舞台創作を北海道各地で行う事になる。
地元参加者への指導のサポートとして関わった。

緊張する中、参加した子供達は皆笑ってくれた。
生まれて初めて「おじさん」と言われたりしたが、
人恋しさに手を繋いでくる子もいた。
幼稚園児から80代の高齢者まで、多くの参加者と携わった。
心の中で、新しい目標が出来た。
舞台の楽しさを世の中に伝えていくのが、
自分の新しい生き甲斐だと。

若き日の、上京の意味を知った。

申し訳ない事に、未だにマイナス思考が消えない時もあり、
周囲に迷惑をかけることもある。
しかしこの活動を通じて、少しずつ何が間違っているのかに気付き、
徐々にプラス思考になっている。

今年は待望の、劇団の新作が出来る。
どんな新しい活力が産み出されるのか、楽しみだ。
これからも諦めず、自分の足で前を向いて歩いていきたいと思う。

(日本映画学校俳優科18期生)

劇団  I´Mホームページ
http://www.theater-im.com/information.html

ページトップへ