2013.10.08

Category:OB

「地獄の底からこんにちは」渡辺紘文(映画監督)

 

                            (写真右)

 

 

死んだと思っていた人間、殺したと思っていた人間が帰ってきたというのは古今東西よくある話で、古くはデュマの「巌窟王」ユゴー「ああ無情」、映画でいうと「修羅雪姫」「ベン・ハー」「ダークマン」「キル・ビル」「オールドボーイ」「レオン」「ゴジラの逆襲」など、まあ幾らでもあるのであるが彼らが何故戻ってきたのかといえば“復讐”のためである。

自分は地獄から戻ってきた。

「地獄では時間が無限にある」というのは師匠の舞台「引き際」の印象的な台詞の一つであるが、このたび地の底から這い上がり、めでたく(あまりめでたく思わない方々もいるかもしれない)世界十二大映画祭でありアジア最大級の映画祭である東京国際映画祭に出品を決めた大田原愚豚舎第一回作品「そして泥船はゆく」の船出はまさに地獄からの出航であったと言ってよい。

 

まず地獄のはじまりであるが、自分は中篇映画を二本、その後舞台を二本作ったあと完全なる一文無しとなり東京にいられなくなった。

 

 

逃げ帰るように戻った故郷栃木県大田原市で最悪な状況を打開しようと狂ったようにシナリオを書きまくり、あらゆるコンクール等にシナリオを送りまくったが所詮は悪あがき、橋にも棒にも掛からず(掛かってもよい結果は得られず)、人づてに紹介された製作会社などに企画書を持ち込んでも門前払いを受けたり、その場で面白いといってくれた企画書もメチャクチャな社会情勢のドサクサの中でいつのまにか雲散霧消したりと、映画をつくる環境は日増しに遠のいてゆくばかりであった。

 

 

極つぶしと罵られ(当然のことである)、ハローワークに通い、求人誌、求人広告を漁り、資格も手に職も無い自分が漸くありついた仕事はプールの監視員であり、自分は約一年半の間、地震が来ようが、放射能がもれようが、政権が変わろうが、映画学校が大学に変わろうが、日本が右傾化しようが、ヘイトデモしてる奴等が日本の文化はお・も・て・な・しとか恥ずかしげも無くほざいてようが、自分はプールの番犬となって雨の日も風の日も「映画を撮るのだ」という捨てきれぬ思い一つで「イイですねー、わたなべくんは夢があって!!」と半信半疑の周囲の目も気にすることなく必死に働き続けた。

漸くの思いでなけなしの制作費を貯め、全財産を使い果たし撮影機材を購入、いざスタッフを集めようというところまでこぎつけたが、声を掛けた人たちから返ってくる答えは冷たく、残酷なものばかりであった。

 

「やるわけないでしょそんなの」

「生活があるんで」
「忙しいんで」
「ディズニーシー行くんで」
「おなかが痛いんで」
「うんこしてるんで」
「無駄」
「無理」
「りーむー」
「お掛けになった電話は…」
「ギャラ出ないんスよね」
「映画は他人の金で撮るもの」
「自分の金で映画撮るヤツは馬鹿」
「それやったらコッチに何かメリットあるの」
「寝言は寝て言え」
「不可能」
「妄想、乙」
「中二病、乙」
「自主?あはははははは!!」
「助監督からやるべき、助監督いつやるの、今でしょ!!」
「人生オワタ\(^o^)/」

 

 

「映画は人脈」「映画はコネ」だとかいう知った風な奴等の叩くクダラナイ戯言に反発し、デカイのは態度だけのツマラン野郎に下げたくもない頭を下げ、酒を注ぎ、ゴマをスリスリ躍起になって名刺を配ることで仕事を得るような寄生虫にだけはなりたくないとかねてから思っていた(今も思っているが)自分には当然人脈や人望なるものがあろう筈は無く、結局クランクイン目前に集まったスタッフは4人であった。

 

4人で映画を撮る。

 

しかも長編映画を撮る。

予算は雀の涙。

 

撮影期間は一週間。

 

通常の映画界の常識からは考えられない過酷な状況の中、自分たちを映画に向かわせたものは、後ろ指を差され、嘲笑と罵倒のカッコウの餌食となるであろう熱意と誇りだけであった。

 

これまで全ての映画作品でタッグを組んできた盟友であり撮影の方又玹(バン・ウヒョン)はこの作品のために韓国から来日「撮影はココロよ!! 俺は天才だからこんな状況余裕だ!!」と、たった一人で撮影照明プランを組み、撮影助手が独りもいないという異常な状況の中、尋常ではない集中力と熱意で照明をつくりカメラをまわした。

 

編集の長友照隼は現場ではマイクを持ち、フィールドが違う録音作業を試行錯誤しながら務め、甘い顔ひとつ見せることなく映画の完成まで常に本気で作品に立ち向かった。

「4人いれば十分だよ」という彼の言葉に自分はどれだけ勇気付けられたか分からない。

弟であり音楽の渡辺雄司はこれまで映画の現場に立ったことなど無いにも関わらず、当然初めてとなるプロデューサーとしての仕事を立派に務めあげ、現場が終わってからは本業の映画音楽家としてフルオーケストラ150ページにも及ぶ膨大な量の音楽スコアを書き、珠玉の映画音楽を完成させた。

 

たった4人のスタッフは、それぞれが百人力の働きをみせ、逆境を共に闘ってくれた素晴らしいキャスト、ガキの頃からの悪友たち、家族、親戚、地元の人々の絶大な協力のもとに誰もがつくることは不可能だと言って揶揄した一つの長編映画を、所謂常識を打ち破ることでしか完成させることが不可能だった映画を現実につくりあげたのだった。

 

このたび第26回東京国際映画祭の正式出品作品として、世界中から集まった1400本以上の応募作品の中から選び抜かれた大田原愚豚舎第一回作品「そして泥船はゆく」はいよいよそのベールを脱ぐことになる。

翻訳作業、字幕作業も完了し、あとは世界の人々にこの作品をみてもらうのを待つばかり、厳しい批評や感想にさらされるのが今から楽しみでならない。

不思議なのは「映画はコネ、カネ、ジンミャク、お前の熱意や誇りなんて現実の前ではクソ、つーか就活しろよ負け犬!!」とアレダケ自己哲学をベラベラとまくし立て、無理だ不可能だと無責任に騒ぎまくり、ケツの青いガキであるワタクシがその幼稚さゆえの現実認識の欠如から軽蔑していた連中が、映画完成後、自分の前からすっかり影を潜め一切の音沙汰が無くなってしまったことである。

 

彼等のいう常識を覆し不可能を可能にした非常識極まりない自分達に対し「NA-BE-YO!! そうブスくれたツラするなよ、あの時は、まさか田舎のプール監視員風情に映画をつくれるなんて思ってもみなかったのさ、おめでとう、ha-ha-ha!!然し君はなかなか大したタマであるといえそうではあるよ、何しろ映画とはコウデナケレバナラナイというコノギョーカイを多少なりとも齧ったことがある連中ならば誰もが盲目的に信奉するシキタリや因習を無視して一つの映画をつくりあげたのだからね、しかも君等が作った映画は人類の誰もが例外なく蚤の糞ほどにも期待していなかった作品だ、ha-ha-ha!!

まあ、祝福ついでに一つ釘を刺すようではあるが、僕としては君等の長谷川伸的聞くも涙、語るも涙の退屈な苦労話がどうであれ、映画の出来栄えはいかに?という問題はモノをつくる人間の宿命としてどうしても残るのだよと言っておかなければならない。NA-BE-YO!! 君も知っての通り映画とは面白さが正義なんだ。つまり君がどれだけ苦労しようが、辛酸を舐めようが、地獄を語ろうが、君の映画に審判を下すのは君ではなく映画をみたお客様さ。つまり我々には映画館に足を運び、なけなしの銭を支払うことで君を裁く権利、君の苦労を断罪する権利は十二分にあるということさ。
それにしても愚豚とは言い得て妙だな、君はいかにもふてぶてしい豚のようではある、しかし君が幾らふてぶてしく構えようが審判の日はやってくる、覚悟はできてるんだろうね、NA-BE-YO!!」
と祝福なりなんなりの言葉ひとつあってもよさそうなものであるが、彼等がまるで何も無かったかの如く一様に口を閉ざし、これまでのことなぞ知らぬという態度で沈黙しているのかは謎である。ま、べちゅにいいけど。

 

地獄から解き放たれた愚豚は例えそれが誰も求めていないことだとしても、再び映画界という地獄を舞台に恐るべきほど鈍重な歩みで作品を作り続けてゆくだろう。

 

敬愛する今村昌平はかつて映画を志す若者に向けてこう言った。

 

天才は必要ない。常識に縛られるな。粘っこく人間を追及し、無人の荒野を走る勇気を持て。

我々は甦った。

 

そして無人の荒野を進んでゆく。

 

それが勇気なのか狂気なのかは分からない。

 

然し、もはや誰にも愚豚の進撃を制止することはできない。

 

地獄の底からこんにちは。

(日本映画学校 映像科20期生)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大田原愚豚舎 公式サイト

http://foolishpiggiesfilms.jimdo.com/

 

 

そして泥船はゆく 公式サイト

http://mudship.jimdo.com/

 

そして泥船はゆく 予告編


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