2013.10.29

Category:学生

「たいせつなこと」矢口 亮 (日本映画大学3年)

 

 

 

自分が、もし、あの授業を受けていなかったら、もう大学にはいないかもしれない。

 

みなさん一人一人には人生の分岐点が必ず存在する。
ある人はどこの会社に入れたかで変わってくると思うし、またある人はどこの大学に入れたかが分岐点になってると思う。
しかし、僕の分岐点はみんなと違った。
確かに大学に入ったことでも大きな分岐点にもなっているのだが、今回の分岐点はそれよりも僕の人生の中では大きな分岐点になったと思っている。

 

僕はこの授業名の「シネリテラシー」という言葉を恥ずかしながら、初めて聞いた。もちろんのこと、意味も全く知らず、自分がなぜこの授業を取ろうかと考えたのかというと、それは単純明快な答えだった。
なぜなら、1週間の授業で2単位取れるのだから。
今まだ3年間こんな風に授業を取っていき、授業名が自分が知らない名前でも、なんとなく授業を受け、授業をこなしてきた。
もちろん楽しい授業も何個かあったが、ほとんどが、こなしてきたと言っていいだろう。

 

始めは『シネリテラシー演習』も、そのこなしてきた授業の一つだろう。
そう思っていた。それは授業を進めていくうちに変わっていった。
初日に学生や講師が集まり、初顔合わせしたが、だいたい顔の知れたメンバーだった。
しかし、一言も誰とも会話することなく、その日の授業は終わった。
次の日も、明日から小学生と一緒に演習をやるというのに、誰とも会話することはなかった。

 

このときの僕はしゃべることはしなかった。
このときの僕はしゃべるということをしようとは思わなかった。
その理由を問われると困るが、ただ単に人とのコミュニケーションが面倒臭くなっていただけだからだ。

 

人とのかかわりを極力絶っていた。
そんなことをしていても、大学というところは何とか生きていける場所であった。
それを証明しているのが紛れもなく、この僕自身だった。
僕が大学で発する言葉といったら、決まって「おはようございます」だった。

 

この言葉以外必要な言葉は特になかった。
僕が大学に来て、授業を受け、たまにトイレに行き、そして帰る。
その行為の反復をしていた。

 

今回も二日目までは同じだった。
しかし、三日目、小学生との実習が始まったら、今までの考えは捨て去られた。
今までコミュニケーションを避けてきた自分には新鮮だった。
自分の相手は10歳程度離れた小学生の小さな男の子と女の子。
その子たちを見たら、自然としゃべっていた。

 

どれくらいぶりに大学で会話したのだろうと思った。
しかも、こんなに人と接することが楽しいのかと、不覚にも思っていた自分がいた。

 

小学生と話せるようになってから、やっと大学生とも会話に至った。
もし小学生がそこにいてくれなかったら、大学生ともしゃべることもなかったんだろうなと思った。
このシネリテラシー演習では、本来、僕たちが映画の事を教えるという体だったが、僕は何も教えてない。
ただ僕は小学生からコミュニケーションの大切さを教えてもらった。
小学生のみんな、本当にありがとう。
(日本映画大学1期生)

 

 

※   『シネリテラシー演習』とは、3年の専門科目。

今年は、講座期間中の3日間の日程で、麻生区役所主催『わくわく映画づくり!』とコラボして行われ、大学生が地元の小学生に映画づくりを教え、共同で作品を制作するという初のコラボ授業。

麻生区こども関連大学連携事業『わくわく映画づくり!』を白山キャンパスで開催
http://www.eiga.ac.jp/news/20130919-01.html

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