2013.11.05

Category:学生

「山形国際ドキュメンタリー映画祭と皮肉」道原 一馬(日本映画大学3年)

皆さんはじめまして。僕を知ってる方は、おはようございますこんにちはこんばんは。

 

せっかく許された場所なので、自由に書かせていただきますね。
時間を返せ、と後で宣うならウィンドウを閉じるか別のリンク先へどうぞ。

 

山形に行ってきた。わかる人には分かると思うが、山形国際ドキュメンタリー映画祭のことであると伝えておく。

 

ドキュメンタリーゼミの面々と講師陣、理論系の一部の人間と僕が愛してやまないMさんもバスに同乗して山形へ。

 

何を感じたかとか、そういうのは書くとかえって安っぽくなるから言わないでおく。
それぞれに思ったことがありすぎて伝えられる自信がないともいえる。

 

山形で行われた日本映画大学と山形大学主催でイグナシオ・アグエロ監督を招いてのイベントにおいては、とても有意義で、飲み会の時に羽目を外してしまい、一緒に写真まで撮ってもらった。

 

担任の安岡先生、山形大学の阿部先生、理論系の土田先生、本当にありがとうございました。
滅茶苦茶良い経験をさせて貰いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

話を山形に来た最初の日に戻す。
僕は非常に都合の良い理由で、レセプションなる山形国際映画祭関係者の歓迎会に入り込めた。

 

そこは僕にはまぶしすぎる程のシャンデリアと派手すぎる料理。

 

挨拶がやたら長い。
地酒で一杯。乾杯。

 

監督の方々にご挨拶しようと思うが、何を話せばいいかわからない。
僕は何も作品を持っていない。

 

レセプションに居る監督や関係者の殆どは作品を持っているというのに、

 

僕は同じ場所にすら立てていない。

 

無料で食べられる料理にしては些か高級過ぎた。
……思い返す度に自分に対する皮肉がただただ溢れる。

 

やめよう。

 

山形国際ドキュメンタリー映画祭にいて、問題提起された話題。

 

「何故、この映画祭を山形でやるのか」

 

山形県民の方々には申し訳ないが、地方である。

 

地元の居酒屋の正社員の方にお話を伺うと、そんな映画祭知らなかったと言われる。
料理はめちゃくちゃうまかったんだけどね。

 

たまたま会場の一つであるフォーラムにて、喫煙所で地元の方とお会いした。僕はてっきりドキュメンタリーを観に来てるのだと話しかけると、こんな映画祭があることを映画館に来て初めて知ったと言った。

 

地域住民の方々も実際少なかった。

 

そう、そこではじめて「何故、この映画祭を山形でやるのか」だ。

 

小川紳介が云々というのは最早形骸化しているようにも見える。
思考停止のように、誰々が始めたからとは、こんなに続いている以上、もう言えないだろう。

 

開会式でもレセプションでも、ワードとして“小川紳介”は出なかった。
閉会式の際の授賞式でやっと聴いたような気がする、といった始末。

 

それはもう、事の始まりからはもう映画祭のカタチが変わったのだろうか。
山形国際ドキュメンタリー映画祭自体初めての僕は、前の姿の全容が見えない。

 

僕の大好きなM氏は、「シャブ中みてぇに縋りやがって、山形に意味なんてねぇ。ブランドに成り下がってる」と酒の場で話した。

 

確かにそうもとれるが、それだけだろうか。

 

山形国際ドキュメンタリー映画祭というブランドが世界に発信していけるのは何故か。
ここまで山形で続けなければいけない理由は何か。

 

映画関係者のみならず、出版社の者やテレビ、他にもカテゴライズできない方まで居る、この山形国際ドキュメンタリー映画祭。
そういった方々はブランドで来るのか?映画関係者以外はそんなものは無関係だろう。

 

僕は、情報と心地の良さだと思った。

 

山形国際ドキュメンタリー映画祭が居酒屋を借りきっての酒盛りの場、“香味庵”がある。
入場料500円。ドリンクと酒のつまみ付き。おかわりは250円。
そこには出展した監督だけでなく、前記のようなカテゴライズできない方々もそこに集まり、酒盛りする。
その空間は人が多すぎて狭いこと以外は、とっても素敵な空間だ。
上映された映画を語るとか、今なんの仕事をしているとか、次は何を撮るとか、思い思いの言葉が交わされる。
そこに情報はある。
皆、酒で口が緩みがちで、たまにとんでもない情報まで転がり込んでくる。
まぁ大体が他愛のない話なのだが。

 

山形に2年後行く予定がある方は、香味庵で色んな人と話すことをお勧めする。

 

映画館は4つあり、美術館が1つ、それぞれセクションができるほどの豊富な環境と、映画館に人が居て同じ時間を共有して、寄り添える空間がそこにはある。シネコンでは味わえない、なんとも言えないあの空間。

 

なんの話だっただろうか、そう「何故、この映画祭を山形でするのか」だった。

 

例えば、東京でやったとしよう。
香味庵みたいな、不思議で甘美な空間を即座に創れるだろうか。
山形で手に入れた情報は、東京でも同様に得られるだろうか。
映画館を4つも貸し切れる予算はあるか。

 

あの心地よい空間はあるだろうか。

 

そこに地域住民の方の姿など無くても、成立してしまう映画祭なのかもしれない。

 

山形市長様が運営面を助けてるけど。そこはほら、映画祭だからお金がなにかと必要なのだろうね。

僕はまだ、ひとりの人間として立って行動ができていない。

 

青臭く夢は語っても、実力も努力もまだ足りない。

 

山形で出逢えた方は忘れないだろうなぁ。

 

 

取り留めがないですか?
好きに語らせてくださいよ。

 

 

では、またどこかで会いましょう。
(日本映画大学1期生)

 

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