2014.01.14

Category:OB

「テネシー・ウィリアムズ25歳の意欲作『蝋燭の灯、太陽の光』」平松多一(劇団民藝 制作部)

 

無名時代をどう過ごすか。
映画監督、人気俳優、芥川賞作家、政治家、今話題の実業家などなど肩で風切る大物たちも孤独で経済的にも不安定な時期を多少なりとも経験しているはず。

僕の同期(横浜11期)の澤村壱番くんも20代は、僕とどっこいどっこいの貧乏だった。
時には自分の血液を売って食費にあてていた。製薬会社の新薬開発にも協力していて、定められた薬を服用するだけでいい金になるという。
僕が興味を示すと「この書類の一番下の欄に漢字でフルネームを書いてくれ」。
それは会社からの誓約書で、病気になっても死んでも知りませんよという旨が記されている。
壱番くんは薬を飲み続け、しこたまバイト料を稼ぎだし、死にもせず病気にもならず、あのとき怖気づいて尻尾を巻いた僕を後目に、はるばる太平洋を超え南米に渡り日本語学校で指導者となり一家をなした。
今日も晴れ渡るウルグアイの空の下、子供たちとお得意の太鼓の音を響かせているはずだ。

 

「ハリウッドに行ってシナリライターとして雇ってもらおうか」。金銭的に恵まれない文学者や劇作家の糊口をしのぐ手段としてそんな道があった。1930~50年代のことで、フォークナーやレイモンド・チャンドラーが有名な例だけど、さらに興味のある方は『ときにはハリウッドの陽を浴びて 作家たちのハリウッドでの日々』(トム・ダーディス著)をご一読ください。
村上春樹が敬愛するスコット・フィッツジェラルドと映画産業とのミスマッチぶりなどかなり突っ込んだ事例がたくさん紹介されている極めて実践的レポートです。

 

その本には登場しませんがテネシー・ウィリアムズも有名になる前は、そんなことを考えていた駆け出しの若者だった、ということをつい先日、彼の研究書を読んでいて知りました。
そのテネシー・ウィリアムズが、大学生だった25歳のときに書いた戯曲というのが数年前に再発見され、来る2月14日から新宿の紀伊國屋サザンシアターにて日の目をみます。

 

『蝋燭の灯、太陽の光』というその作品は、アメリカ南部の貧しい炭鉱町の物語。
労働者階級の家族の生活を綿密にそしてドラマチックに描き出してあります。
初演は1937年といいますから、アメリカ経済は、29年のブラックマンデーが引き起こした世界恐慌から立ち直ってはいなかったでしょう。
『ガラスの動物園』『欲望という名の電車』『焼けたトタン屋根の上の猫』などで知られるアメリカを代表する劇作家が、無名時代にどんな夢と希望を胸にこの作品を書いたのか……。
ここは作り手目線となって、題材のつかみ方やテーマの発展のさせ方、登場人物の配置の妙などなどブレイク前の25歳の才能を堪能してください。
きっと、“無名時代”のよい思い出になることでしょう。
(横浜放送映画専門学院 映像科11期生)

劇団民藝ホームページ>> http://www.gekidanmingei.co.jp/

 

 

 

 

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