2014.10.14

Category:OB

「姫田忠義さんの『オキの先』」今井友樹(記録映画監督)

 

 

僕と姫田忠義さん(記録映像作家、本学・元特任教授)との出会いは、日本映画学校3年生(2003年・24歳)の頃です。当時の僕は、自分の社会性もわからず、ただ悶々と思い悩んでいました。そんな僕を見て、姫田さんは「人生は旅だよ」とよく励ましてくれました。

 

姫田さんは、「旅」の話しをする際に、よくアイスマンの話しを引き合いに出しました。アイスマンとは、1991年にアルプスの氷河で見つかった約5300年前のミイラのことです。この発見は「アイスマンは何をしていたのか?」などと想像を掻き立てる事件でした。姫田さんが興味を持ったのは、そのアイスマンが腰に身につけていた容器の中身でした。その容器の中には、“燃えさしのオキ炭”が入っていたというのです。新たな場所を求めて移動する際、火は無くてはならないものです。そのオキ炭と旅する精神世界に、姫田さんは心を寄せていました。

 

 

晩年の姫田さんは、持病の肺気腫が悪化し自宅で療養を続けていました。
亡くなる半年前、僕は姫田さんと2人きりで話をしたことがあります。その時の姫田さんの関心事は、彼にとって大変切実な問題でした。
「人生は旅だと言うが、それは冥土の旅だって気づいたんだよ。そして人生は孤独だと。いやぁ、今頃になって初めてわかったよ。死ぬときはひとりなんだよ」
と。
それを聞いた僕は、その言葉の意味の深さをどれだけわかり得たでしょうか。
ただただ怖く、どんな顔をして聞いていいのかわからず戸惑っていました。

 

2013年7月29日、姫田さんは亡くなりました。享年84歳。
姫田さんが亡くなる直前、僕は意識不明になった姫田さんに会う事が出来ました。そこには、ベットの上で穏やかに眠る痩せた姫田さんの姿がありました。
そして意識がなくなる直前の姫田さんが書いたメモを見せてもらいました。僕は懐かしい姫田さんの筆跡で書かれていた最後の文字を見て、脳天に衝撃が走りました。
そこにはただ一言「オキの先」と記されていたのです。
僕は横たわる姫田さんのごつごつした手を握りました。すると僕の眼前には、暗闇の中、オキ炭の灯りを頼りにして最後まで旅を続けんとする姫田さんの姿が浮かんできたのです。オキの先。それはまさに在野に生きる人びとを肯定し続けてきた記録者・姫田忠義の存在証明の言葉のようでもありました。
そして、あの時の姫田さんの手の温もりを僕は一生忘れません。

 

最後に、姫田さんの著書「ほんとうの自分を求めて」から一部を抜粋します。
僕のみならず、本学に通う在校生への姫田さんからの希望の言葉として受け止めて頂ければと思います。

 

 

『 振り返ってみると、これまでの私の人生も、ただいっしんに何かを求めてのものだったように思える。それが何だったのか。ひょっとしたら、ただいっしんに自分らしく生きよう、自分らしく生きようとしただけかもしれない。ほんとうの自分を求めてあがきつづけてきた、と言えるかもしれない。そしてそのあがきのなかで、私は私なりの発見をしてきたと言えるかもしれない。ささやかな、けれどそれぞれが私にとっては重大な発見をだ。私はそれを見失ってはならない。 そして、これからの旅と人生の上に生かしていかねばならない。人生は旅だ、と言うことばのせつなさをかみしめながら、である。』

 

 

(日本映画学校 映像科16期生)

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