企画のネタ探しから製作、そして
作品を世に送り出すまで。
すべてを取り仕切る
プロデューサーという肩書に
必要な能力とは一体?
『ピンクとグレー』
『エヴェレスト 神々の山嶺』など、
次々に話題作を手がける
井上文雄さんはこう語る。
プロフィール
井上 文雄
1958年東京都生まれ。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)第5期編集コース1981年卒。フリーの助監督として『湘南爆走族』『うなぎ』などに参加。ドラマの脚本にも携わり、その後プロデューサー業をメインに。角川大映(現・KADOKAWA)を経て、16年より制作会社OLMに在籍。
【おもな作品】
『ピンポン』(02)
『ジョゼと虎と魚たち』(03)
『着信アリ』(04)
『妖怪大戦争』(05)
『人間失格』(10)
『ピンクとグレー』(16)
『エヴェレスト 神々の山嶺』(16)
近作情報
ビッ友×戦士 キラメキパワーズ! / リズスタ -Top of Artists!-
ビッ友×戦士
キラメキパワーズ!リズスタ
-Top of Artists!-ビッ友×戦士 キラメキパワーズ!
総監督・監督/三池崇史 監督/倉橋龍介 横井健司 西海謙一郎 出演/永山椿 深澤日彩 比嘉優和 佐藤栞奈 増田來亜 松本享恭 並木さくら(CV) 宮下早紀(CV) 渡部紗弓(CV) 山口乃々華 鈴木志遠 ナレーター/前田敦子 制作プロダクション/OLM (22/日本)
キラリの目の前でゲーム機から飛び出してきたひめにゃんは、人気ゲーム「キラもり」に出てくるキラパワ王国のプリンセス。敵のマックラ帝国に襲われ、ネコに変身して逃亡中のひめにゃんを救うため、「太陽の勇者・キラパワサニー」に変身して、帝国に立ち向かう。
リズスタ -Top of Artists!-
総監督/三池崇史 監督/倉橋龍介 横井健司 平野勝利 西海謙一郎 出演/上村梨々香 森朱里 大串咲太郎 岩谷翔吾(THE RAMPAGE from EXILE TRIBE) 斎藤司(トレンディエンジェル) BON.井上さん テキーラ☆まさはる 制作プロダクション/OLM (22/日本)
「リズスタステージ」はパフォーマンスを全世界に配信し、視聴者がボルテージ(応援エネルギー)をアーティストに送り届けることのできる、夢のダンスバトルステージ。星神リュウジはこのステージだけでなく、アーティストを育てるためのリズスタダンスアカデミーを創設し──。テレビ東京系で毎週日曜、『キラメキパワーズ!』が9:00〜、『リズスタ』が4/10〜9:15〜放送
© TOMY・OLM/キラメキパワーズ製作委員会・テレビ東京 © TOMY・OLM/リズスタ製作委員会・テレビ東京
公式HP
『ビッ友×戦士 キラメキパワーズ!』
https://kirapawa.jp
『リズスタ -Top of Artists!-』
https://rizsta.jp
横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に進学したのは、それが映画の現場への最短距離だと思ったからです。でも正直、そんなに期待はしていませんでしたけど(笑)。
授業は、現場で働く人たちがそのまま講師だったから、まさに現場主義。理想と現実の違いに戸惑う学生もいたと思います。「年間何百本映画を観ています」なんて評論家風情の学生も少なくなかったけれど、そんな人ほど映画とは別の道に進んでしまった。
〝いい加減なヤツ〟ほど、いまでも現場に残っていますよ。いや、〝いい加減だけど、要領のいいヤツ〟かな(笑)。
キャリアスタートは演出部
「そのうち監督になれるだろう」
卒業へのカウントダウンが始まった頃、卒業指導の先生がこう言ったんです。「みんな仕事、決まっていないだろう? 自分が脚本を書いている昼帯ドラマに助監督で付けてやるよ」と。
でも映画を目指している連中ばっかりだから、テレビの現場を希望するヤツは誰もいなかった。僕は希望者をとりまとめる役を仰せつかっていたので、「さすがに希望者ゼロはヤバイ!」となって、言いました、「実は僕しかいないんです」と。焦りましたよ、本当にやろうなんて考えていなかったから(笑)。
長続きはしないだろうと思って始めたけれど、やってみると意外に向いていました。そこから演出部として映画屋人生がスタートしたんです。
助監督を続けて、今村組ではチーフまでになりました。Vシネの制作本数が多かった時期で、チーフが次々に監督になってポストが空いたんですよ。「自分もVシネの監督だったらそのうちなれるだろうな」と思っていたら、ブームは終わり、監督になるきっかけを失った。
さらに三池崇史みたいな監督を目の当たりにして「敵わない」ってあきらめたのも事実です。
プロデューサーを一度やったら
助監督の依頼が来なくなった
その後、映画畑のスタッフばかりで連続ドラマをつくることになり、僕はチーフ助監督で入ったんですが、途中で製作会社が経済的に行き詰まってしまった。
するとその場にたまたまいただけの僕に、テレビ局の担当者が「プロデューサー、向いているんじゃない?」。現場が止まる危機を回避すべく、引き受けることになったんです。
この業界は不思議なことに、一度プロデューサーを担当すると「あいつは演出部をあきらめた」って思われて、監督の話はもちろん、助監督の依頼まで来なくなる。それからはフリーランスのプロデューサーとして、いくつかの作品に参加しました。
三池監督から「『着信アリ』を一緒にやってくれない?」と誘われたことを機に、しばらく角川大映(現・KADOKAWA)に所属することになりました。こう話してみると、いい加減な経緯に聞こえるかもしれませんけど、ものづくりは真摯にやっていますよ(笑)。