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脚本家

野木 亜紀子

nogi akiko
学校もテレビ業界も
浮世離れした人ばっかりだった

ところが不況のせいでNHKは外部に制作を発注しなくなっていって。

──予算削減のために社内で制作するようになっていったんですね。

そうなんです。やがて、バラエティ番組のVTR制作のような仕事しかこなくなってしまった。そのときに、「私がやりたかったのはフィクションだ」と思い出したんです。
制作の仕事をしていると映画館にはなかなか通えないけれど、それでもドラマはけっこう観ていた。「現場に向いていない」という自己分析もあり、ドラマだったらシナリオコンクールも多い、応募してみよう、と思って脚本を描き始めました。そして6年ほど応募を続けて……。

──フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞して、脚本家デビューを飾ったわけですね。

映像業界から距離をとって
〝世の中〟に身を置いた

──その脚本は、それまでと何が違ったんですか?

「私はこれを伝えたい」ってものが明確にあった。それまでは「応募するために何か書こう」って取り組み方で、たいがい2次、3次選考までは残るけれども、そこ止まりだったんです。

──それにしても初受賞にして、いきなり最高位とは。

やっぱり「なんとなく書く」じゃだめなんですよ、当たり前だけど(笑)。でもそれって簡単なことではないんです。たとえば「こういう企画はどうですか」と話をもらったときに自分が書く意味──何を書きたいか──を見いだせなければ、たとえ書いたとしても、「これ、誰が観たいの?」という残念な作品になってしまうと思います。

──それにしても苦節6年ですか……。

いや、制作をしていたときも、そんなに楽ではなかった。卒業してからずっと苦節でした(笑)。

──6年間は制作のお仕事をしながら執筆を?

それだと書く時間がなくなっちゃうので、業界からは完全に足を洗って、いわゆる派遣社員をやりました。普通に事務仕事をしながらも、昼休みには、開いたらすぐ文字を打てるポメラを使って地道に書き続けて……。

──まさに〝苦節〟ですね……。

でも、その間に一般の会社をいろいろと見る経験を得られて本当によかったと思っています。実際の世の中がどうなっているのか、それまで全然知らなかったので。映画学校時代、まわりはみんな浮世離れした人ばっかりだったんですよ。で、テレビ業界に入ってみたら、ここも特殊な人のほうが多い。

──一般人と感覚が違う人が多いと。

ドラマって、特殊な人に向けてつくるわけではないですからね。そういう意味で世の中を見ることは大切です。いまの学生さんにも、いろいろバイトをして見聞を広めるといいよって薦めたい。

どんなに偉い相手だろうと
譲れないときは戦うしかない

──脚本家の定義と言うと?

定義……は難しいですね。

──〝心得〟でもけっこうです。

そうですね……。たとえば映画でよくあるんですが、規模が大きい作品ほど関わる人も増えて、口を出す人も多くなって、良からぬほうに作品の方向性が変わっていくような事態が起こる。「船頭多くして……」ってやつですね。
もし「これを伝えたい」というものから逸れていたら、どんな偉い人の発言だろうが「それは違います」と言って、道を正す。ドラマだって、スポンサーの兼ね合いや大人の事情で、横やりや謎の忖度が入ることはある。そんなときでも、丸呑みせずに「ではこれならどうですか」と譲れるギリギリまで考えて考えて、代案を返す。

──つまり「戦うこと」だと?

結果、そうなってしまいますね。疲れるんで、あんまり戦いたくないんですけど。本音としてはできるだけ平和にやりたいです(笑)。

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