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2013.11.6

フランスの映画批評家アントワーヌ・ド・ベック氏と中原俊教授による特別講義を行いました。

2013年10月18日(金)に元『カイエ・デュ・シネマ』誌編集長アントワーヌ・ド・ベック氏(映画批評家、映画研究者、歴史家)を日本映画大学白山キャンパスに招き、フランソワ・トリュフォー監督『映画に愛をこめて アメリカの夜』(1973年)(以下、『アメリカの夜』)を中心に、聞き手を映画監督の中原俊教授が務め、映画について、映画づくりについての特別公開講義が行われました。

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まず、ベック氏より現在教えているフランス国立映画学校フェミスでの『アメリカの夜』を観た学生たちの感想「こういう風に映画は出来るのか」「映画づくりにはこんな素晴らしいことがあるんだ」「こんなうまく行くはずがないんじゃないか」など、トリュフォーが描いた映画制作現場を様々な角度から観られていることが伝えられました。
ベック氏は、『アメリカの夜』が示そうとしているものは、「映画がどのようにつくられているのかではなく、文字通り映画に対する愛がにじみ出ている作品だと思う。というのも、映画が自分の人生にとってどれほど重要であったか、映画に救われた部分を表現しようとしている意図がある」ことが垣間見える作品だとおっしゃいました。

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映画に対する愛がにじみ出ている部分として、『アメリカの夜』の登場人物であるフェラン監督が偉大な監督像としてではなく、極めて職人的に現されていること。ロケハンに行った場所でも、高みから見るのではなく現実でも物語の中でも本当に撮りたくて行っている様子。監督以外のポディションの人々も平等に描かれていることなど色々な職業が集まって出来上がっている「芸術の民主主義」として見せようとしていたことを挙げました。
しかし、トリュフォーは映画のヒットすることにもこだわった監督でもあり、『アメリカの夜』は賛否ある作品として敵をつくったものでもあったと述べられました。
主な批判として「劇中」と「政治」の2つ挙げました。1つ目はトリュフォーが若かった時に体験したことや経験したことをイデオロギーに取り込まれて描いたこと。2つ目は、五月革命以後、レボリューション的な映画が求められていた時期にクラシック的な映画を撮ったことに対する批判だったこと。そして、批評家として近い時期にデビューし歩んできたジャン=リュック・ゴダールとの絶縁するキッカケにもなってしまい、映画の歴史においても、二人の人生においても大きな出来事だったと話されました。
ベック氏は、どちらかに肩入れするのは間違っているが、トリュフォーの“自分の弱さ”“映画におけるボディション(立ち位置)”に対する考えが好きだと仰いました。

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映画監督の中原俊教授は、トリュフォーとの出会いについて、生まれ育った地域では噂は聞くが映画を観ることは出来ず、東京に出るキッカケだったと語り、『アメリカの夜』ではじめて映画づくりの過程を知り、日活で働くようになった頃には、ヒッチコックの映画術など、どうすれば映画がおもしろく撮れるのか考えるようになったと述べられました。
ベック氏は、トリュフォーとの出会いについて、「トリュフォーの映画は観ていたが直接面識はなかった。自身が二十歳の時にトリュフォーが亡くなったことがもっとも大きなことだった」と語り、カイエ・デュ・シネマに寄稿し、書くことで映画愛を伝える人生を歩み出した大きなキッカケだったと述べられました。

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聴講していた学生などからの質疑応答に入り、「芸術の民主主義」が話題の中心となりました。トリュフォーとゴダールの「民主主義」の捉え方の違いについて「トリュフォーから生き方を学び、ゴダールから型や形式を学んだ」ベック氏。「トリュフォーほど映画とうまく付き合った人間はいなかった。スタッフや女優ともうまく付き合い、シュザンヌ・シフマンを手放さなかった」中原俊教授。「商業主義と、どう折り合いをつけるかが民主主義。ゴダールはどこかで切った。トリュフォーから型や形式を学び、ゴダールから生き方を学ぶべき」と脚本家・映画監督の荒井晴彦教授も加わり、映画における「民主主義」に対する距離感の話になりました。
ベック氏は、その後も学生からの質問に1つ1つ丁寧に答え、特別公開講義を終えました。
アントワーヌ・ド・ベック氏、通訳の人見氏、ならびに聴講にお越し下さいました皆様、ありがとうございました。
 
(写真・文 学生広報部)

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