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2018.5.14

「アジア三面鏡」作品で撮影を担当! OB高詩熠さんにインタビュー

中国から来日中のOB高詩熠(コウ シイ/日本映画学校19期 2007年卒)さんが5月10日、日本映画大学に来校し、直近で撮影を担当したアジア・オムニバス映画製作シリーズ『アジア三面鏡』の作品をはじめ、本学園で在学中に学んだことや、映画を志す中国人留学生へのメッセージをお話いただきました。

中国語訳(中文)もあります。

 

高詩熠さん1

日本映画学校19 2007年卒業 撮影照明コース
出身:中国(北京)

アジア三面鏡について

東京国際映画祭と国際交流基金アジアセンターが、日本をふくむアジアの気鋭監督を集めてオムニバス映画を共同製作するプロジェクト。本学の石坂健治学部長も企画に携わります。

第1弾は2016年、行定勲監督(日本)、ブリランテ・メンドーサ監督(フィリピン)、ソト・クォーリーカー監督(カンボジア)の3名が集い、「アジアで共に生きる」をテーマにそれぞれの視点から映画を製作し、それらは同年の東京国際映画祭でワールドプレミア上映されました。

そして第2弾、高さんも撮影で参加する今回は、松永大司監督(日本)、エドウィン監督(インドネシア)、デグナー監督(中国)が選ばれ、インドネシアの国民的俳優であるニコラス・サプットゥラ氏を3作品共通のキャストとし、「旅」をテーマに製作されました。

そのなかで高さんは、松永監督の撮影を担当。それは、海外の撮影システムでとることを希望する松永監督の意向を受け伏見朋子プロデューサーが推薦。その映像美にも期待して依頼をしたとのことです。作品は、第31回東京国際映画祭(2018年10月25日~11月3日)でのワールドプレミア上映が予定されています。

▼アジア・オムニバス映画製作シリーズ『アジア三面鏡』公式サイト
http://asian3mirror.jfac.jp/wp/ja/201803/465/



高詩熠さんインタビュー



1984年生まれ。北京出身。


2007年に日本映画学校(現日本映画大学)の撮影・照明コースを卒業し、株式会社東宝映画に契約社員として入社。キャメラマンの木村大作に師事する。


2009年に中国へ帰国し、台湾の撮影監督である李屏賓(リー・ピンビン)の下につき、数多くの映画の撮影を担当している。

高詩熠さん2

■ フィルモグラフィー

2004『赤い月』      監督 降旗康男 撮影 木村大作 (通訳担当)
2005『単騎、千里を走る。』(原題:千里走单骑 2006年日本公開 チャン・イーモウ監督)
               日本編監督 降旗康男 撮影 木村大作 (撮影助手兼通訳担当)
2007『ショコラの見た世界』監督 行定勲  撮影 中村光一 (メイキングカメラ担当)
2007『マリと子犬の物語』 監督 猪股隆一 撮影 北信康 (撮影助手担当)
2008『明日への遺言』   監督 小泉堯史 撮影 上田正治 (撮影助手担当)
2009『新宿インシデント』 監督 イー・トンシン 撮影 北信康 (撮影助手兼通訳担当)
2009『ハゲタカ』     監督 大友啓史 撮影 清久素延 (撮影助手担当)
2009『剣岳・点の記』   監督 木村大作 撮影 木村大作 (撮影助手担当)
2010『ノルウェイの森』  監督 トラン・アン・ユン 撮影 リー・ピンビン (助手兼通訳)
2010『恋愛通告』     監督 ワン・リーホン 撮影 リー・ピンビン (撮影助手担当)
2010『青春の綻放』(原題:青春的绽放) 監督 王鶴軍 (撮影担当)
2011『西蔵往事』     監督 戴瑋 撮影 リー・ピンビン (撮影助手担当)
2011『未分類死亡』    監督 張黙 (撮影担当)
2011『もしあなたがいなかったら』(原題:假如没有祢) 監督 楊昆栄 (撮影担当)
2011『チャイニーズ・フェアリー・ストーリー』(原題:画壁) 監督 ゴードン・チャン 撮影 リー・ピンビン (撮影助手担当)
2013『鋼琴木馬』     監督 呂祖松/崔斯韋 撮影 羅攀 (Bキャメ担当)
2013『一座城池』     監督 孫渤 涵 (撮影担当)
2015『さよなら、パパ』(原題:再見,爸爸) 監督 張影 (撮影担当)
2015『パパどこいくの2』(原題:爸爸去哪儿2) 監督 謝滌葵/林妍 撮影 繆健輝 (Bキャメ担当)
2016『恐怖筆記』     監督 閔晋濤 (撮影担当)
2016『長江 愛の詩(うた)』(原題:长江图 2018年日本公開) 監督 楊超 撮影 リー・ピンビン (撮影助手担当)
2016『小明とその友達』(原題:小明和他的小火伴們) 監督 王鑫 (撮影担当)
2016『霹靂再見』(ポスプロ中) 監督 高飛 (撮影担当)
2017『芳華-Youth-』(原題:芳华) 監督 フォン・シャオガン 撮影 羅攀 (Bキャメ担当)
               ✳︎公開から2週間で興行収入が10億元を突破、現在までに約250億円の 大ヒット作
2018『断片』(原題:断片之险途夺宝   7月公開予定) 監督 羅登 撮影 羅攀 (Bキャメ担当)
Q1. 日本映画学校を選んだきっかけを教えてください

A1. 2003年に映画『赤い月』(*1)(降旗康男監督、2004年公開)の現場に通訳として参加しました。そこでキャメラマンの木村大作さん(*2)の姿を見て、頭の回転の速さ、発言の正確さなどに、衝撃を受けます。

実際に撮影部の手伝いもするようになり、そこで助手を経験し、“自分もそうなりたい”と思うようになりました。

現場には日本映画学校のOBがたくさんいて、それでその存在を知りました。



*1…東宝映画で今の日本映画大学理事長の富山省吾氏が製作を務める。美術(福澤勝広)、助監督(宮村敏正、兼重淳)、撮影助手(坂上宗義、山田康介)などに本学園OBが参加していた。

*2…1939年生まれ。58年、東宝撮影部に入り、黒澤明監督の数々の作品で撮影助手を務める。日本映画界を代表するキャメラマン。2003年紫綬褒章、10年旭日小綬章を受章。
Q2. 在学中にどんなことを学びましたか?

A2. もっとも印象的だったのは「人間研究」(*3)です。取材対象者に「死刑囚」を選び、手紙を書いてやり取りしましたが、難しいテーマだったのでよく覚えています。私はスチール写真の担当です。卒業制作映画『風にのせて』ではキャメラマンをしました。



*3…1年次の必修科目。興味深い取材対象者を選び、実際に本人にインタビューする。グループワークを通して「人間」と向き合うことを目的に、日本映画大学となった今も受け継がれている。
Q3. 日本語でのコミュニケーションには問題ありませんでしたか?

A3. 中学時代は家族と山形県に住んでいたので。日本映画学校へも、日本語学校に通わずに入学しています。「ことば」に関しては「自己管理」ですね。自分ががんばらないと、どうにもならない。今でも中国にいるとき、日本語を忘れないように、私はなるべく最新の邦画を観て、新しい単語、表現を勉強しています。「200枚シナリオ」(*4)も提出はできました。


*4…長編シナリオ制作。1年次の必修として、原稿用紙200枚(100分)程度のオリジナルシナリオを書き上げる。「人間研究」と同様に日本映画大学のカリキュラムに残る。
Q4. 卒業後の進路はどのようでしたか

A4. 私の在留資格は「家族滞在」でしたが、フリーランスでいくことには、不安がありました。

そこで木村大作さんに相談し、東宝撮影所の撮影助手に推薦してもらいました。『マリと子犬の物語』(2007)、『劒岳 点の記』(08)、『明日への遺言』(08)、『ハゲタカ』(09)、『新宿インシデント』(09)、『ノルウェイの森』(10)といった作品にかかわりながら、日本では2009年まで働きました。

そして『ノルウェイの森』の現場で撮影監督だったリー・ピンビン(*5)さんと出会い、「中国で仕事をするときには、手伝ってもらえますか」と誘われ、その後、助手につくことができました。

たとえば『長江 愛の詩』(2012)ではサードで入り、3ヵ月のあいだ長江で移動しながら撮影しましたよ


*5…李屏賓。台湾の撮影監督。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)、王家衛(ウォン・カーウァイ)など名だたる監督たちのキャメラマンを務めている。
Q5. 最後に、日本映画大学を目指す留学生にむけたメッセージをお願いします

A5. 木村大作さんのこの言葉を胸に刻んでいます。

――「一生懸命やっていれば、きっと誰かが見ていてくれる。」

中国で仕事がうまくいかないときも、これを思いだして、あきらめずに乗り越えました。

木村大作さんも、黒澤明監督の現場で、この言葉を得たのかもしれません。
▼第31回(2018年)東京国際映画祭公式サイト
 https://2018.tiff-jp.net/ja/