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中国には56の民族が存在し、漢民族以外は「少数民族」と呼ばれている。独自の言語、文化、文字を持ち、長い歴史の中でそれぞれの伝統を育んできた。しかし80年代の改革開放以降、都市化と普通話(標準中国語)の普及が進み、少数民族の集落や文化は次第に姿を消しつつある。
貴州侗族自治区 岩洞村。この地では「男耕女織」(男が畑を耕し、女が機を織る)という自給自足の暮らしを続けており、侗族の伝統文化の象徴ともいえる民族歌舞が今も息づいている。
「大歌」と呼ばれる多声音楽は、代々口伝で受け継がれてきたもので、歌詞には自然への畏敬や人々の絆が込められている。歌に合わせて踊りが繰り広げられ、木々や星空の下に広がるその光景は、都市生活では感じられない温かさと美しさを持っている。
一方で、インターネットの普及は農村にも大きな影響を与えている。スマートフォンを通じて、村の若者たちは都市の華やかな生活を目にするようになった。この村の住人である呉良植もその一人で、村を離れ都市で新しい未来を切り開こうと決意する。
中国貴州省に暮らす少数民族・侗族のある一家は、伝統的な木造家屋で四世代にわたり自給自足の生活を送っていた。しかし、時代の流れとともに変化が訪れる。
夫・呉良植は生計を立てることが難しい現実に直面し、生活費を稼ぐため町へ働きに出ることを決意する。家族を守りたい妻・呉吉媛は夫を引き止めようとするが、二人の気持ちはすれ違い、夫は町へ向かう。
町での生活は便利で華やかだが、そこには誘惑や孤独もつきまとう。やがて夫は仕事に追われる中で、自分が守りたかった家族とのつながりを次第に見失っていく。
村では妻が体調を崩しはじめ、ついに町の病院への入院を余儀なくされる。退院後、妻もまた町で働くことを決意し、村に幼い子供を残したまま、夫婦はそれぞれ異なる場所で生活を続ける。
便利で華やかな都市の生活と、質素だが家族の絆が息づく村の生活。その狭間で夫婦はすれ違い、格差社会の現実に直面する。彼らの選択が家族にどのような未来をもたらすのか。変わりゆく時代の中で、家族、伝統、そして人生の意味を問いかける。
呉良値
呉吉媛
呉以勝
呉隆科
呉明勲
呉昌威
呉先夢
企画・撮影・編集・監督:鄧茂榮
制作:黒澤研太
協力:呉昌宇、田乃銀、劉福蓮、田昌海、田紅、鄧勇、鄧智文、田森源、欧可欣、呉朝能、曹磊、俞浩、岩洞村の皆さん
方言指導:呉海運
撮影協力:李奇思
音楽協力:付明宇
使用曲「南方的秋天」作詞・作曲 寧夏/「蝉之歌」肇興侗砦文化団
方言協力:呉海運
<作品宣伝チーム>
統括連絡代表・プレスリリース・メインビジュアル・予告編・SNS・上映会宣伝チーム:鄧茂榮
この作品の企画段階で最も考えたのは、自分が故郷を離れて日本に来てからの4年間、映画制作を学び、「作品」を本当に意味のあるものとして作るならば、まず自分自身の立ち位置を見直す必要があるということでした。もし自分と全く関係のない事柄を題材にした場合、果たして自分は他人の物語をカメラで語る資格があるのだろうかと考えました。そこで私は故郷を選び、同じ侗族の一家を取材対象にしました。
劇中の主人公を撮影する中で、私はずっと「鏡を見るような感覚」で彼らを撮っていました。それは、自分自身のことを撮影しているような気持ちでもありました。かつての私は、親の反対を押し切り、故郷を離れてもっと進んだ、新しく自由な場所へ行きたいと一心に願っていました。東京に来てからも、中国人同士の中でさえ、出身地のことで「田舎者」と言われるのが怖くて、自分をよりおしゃれに見せ、「都会人」らしく振る舞おうと努力していました。
この作品を撮影した半年間、私はほぼ毎日劇中の一家と会い、話をしてきました。主人公の呉良植さんが都市に行った後も、撮影がない日でも毎日会い、密な交流を続けました。彼は侗語を話し、普段は手作りの民族衣装を着ています。同じ侗族である私ですが、すでに「漢化」され、侗族の名前以外は何も残っていません。そのため、私の目には、彼の持つ多くのものが非常に誇るべきものに見えました。しかし、彼自身はそれを特に大事にはしておらず、むしろ都会のすべてに憧れを抱いていました。
そんな彼を見るたびに、私は自分を見つめ直すような気持ちになりました。自分も彼のように、多くのものを捨ててきたのではないか、と考え始めました。そして、彼の家族や子どもに会い、農村に戻ったとき、自分自身も忘れていた、あるいは捨て去っていた何かを取り戻したような気がしました。もしかすると、これこそが私が映画制作を学ぶ意味なのかもしれません。
企画・撮影・編集・監督:鄧茂榮