日本映画学校/横浜放送映画専門学院からのお知らせ

日本映画学校からのお知らせ

本校は平成25年3月31日付で閉校いたしました。

日本映画学校/横浜放送映画専門学院 卒業生へのお知らせ

証明書発行業務は、日本映画大学 新百合ヶ丘校舎(元日本映画学校校舎)事務室で行っています。

●各種証明書の発行について https://www.eiga.ac.jp/visitor_graduates/certificate

日本映画大学 新百合ヶ丘校舎
TEL 044-951-2511

“君に贈るメッセージ” 横浜放送映画専門学院

1975年開校当時の今村昌平学院長そして淀川長治先生、永六輔先生、小沢昭一先生の言葉を
こちらからお聞きいただけます。

【訃報】沼田幸二先生のご逝去について

横浜放送映画専門学院創立メンバーの沼田幸二先生が、2023年10月3日にご逝去されました。(95歳)

沼田幸二先生は、1975年の開校から1992年まで後進の育成に力を注ぎました。
演劇科部長および演劇科・映像科の担任として、さらに広報部長、学園理事として本学園の発展に大きく寄与されました。
ここに謹んで哀悼の意を表すとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

運動会で演劇科9期生と(1983年)
【訃報】佐藤忠男先生のご逝去について

横浜放送映画専門学院創立当初から長年にわたりご尽力いただいた佐藤忠男先生が2022年3月17日に逝去されました。
日本映画学校長・日本映画大学長として多くの人材の育成に力をそそいでこられました。
心より感謝を申し上げるとともに、ご冥福をお祈りします。

「佐藤忠男先生お別れの集い」の様子は下記からご覧にいただけます。

【訃報】渡辺千明先生のご逝去について

日本映画学校脚本演出コースの渡辺千明先生が、2021年3月31日に逝去されました。
渡辺千明先生は、横浜放送映画専門学院2期卒業生で、第一回卒業公演『玉虫マリヤ』の脚本を手掛けました。
その後脚本家として映画、テレビで活躍し1988年から2013年まで日本映画学校脚本演出コースの専任講師として後進の育成に力を注ぎました。2001年には第54回カンヌ国際映画祭シネファンダシオン(学生部門)で渡辺千明ゼミ制作『トシ君が生まれた日』を出品しました。

ゼミ室で
カンヌ映画祭で

日本映画学校長の挨拶

映画学校は、当初から輝いていた。
横浜でスタートした当初、創立者の今村昌平が「既設のレールを走りたくない若者たち、常識の管理に甘んじたくない若者よ集まれ」と呼びかけた結果、全国各地から駆け付けた学生たちは皆んな燃えていた。

同時に、迎え入れた講師陣は殆どが現役のカツドウ屋だった。映画への情熱は学生に劣らず型破りの熱血漢が多かった。学生たちの作品発表会や合評会では、熱く論じ合う余り講師同士がケンカまで始めるなど、学生、講師ともに熱く燃え輝いていた。

講師も、職員も決して経済的に優遇とは言えなかったが、みな献身的に学生らのために働き続けた。幾多の映画人、協力者、何よりも保護者の皆さんにこの場を借りて篤くお礼を申し上げたい。
「皆さん、本当にお疲れさま。青春を有り難う」

青春が輝いていた。日本映画学校と私自身について語ろう。
1979年、憧れの今村監督に出会って間もなく「横浜放送映画専門学院」で、担任と文化映画「由美ちゃんの交換日記」の演出を任せられた。脚本は卒業生の河本瑞貴君、彼のシナリオに一つだけ注文を出した。
映画のラスト=小学校の運動会に実物モデルの由美ちゃん(身体障害)を登場させたのだ。ご両親はとても喜んで下さった。

2000年には、映画学校で副校長を任せられた私は、シドニー・オリンピックを記念して“サザンクロス日本映画祭2000”を計画、リズモア、キャンベラ、シドニー三都市に2週間にわたって、今村作品「黒い雨」ほか武重、新城、池端、千葉の映画作品と学生映画上映と交流を展開した。今村ご夫妻を交えて、愉しい記念スナップが残っている。

このイベントで、ドキュメンタリー映画「豪日に架ける〜愛の鉄道」上映が契機となって、2002年から「豪日学生映画フォーラム」を計画し、シドニーと川崎でのユニークな映画祭が毎年行われるようになった。
若い学生監督の作品上映と愉しい交流が、10年近く継続し、KAWASAKIしんゆり映画祭の売り物として話題を提供していった。

専門学校が積み重ねた多くの作品と人材養成の伝統は、間違いなく日本映画大学に引き継がれ、大きな遺産となっていくに違いない。

          
日本映画学校長
 千葉 茂樹