2005.04.18

Category:OB

「興味や関心に時間を使う」南原清隆(タレント)

 

先日、ずーっと前から頼まれていた講演会を初めてやりました。
人前ではコントぐらいしかやったことがなく、どうやって話せばいいのか迷ったのですが、
僕と内村が卒業した映画学校の先生方がぜひということで、これ一回のつもりでウッチャンナンチャンとして講演会をやりました。
内容は主に学生時代の話です。いい機会なので、読者の皆さんにも話をしてみたいと思います。

 

まず、僕がなぜ 『 日本映画学校 』 を選んだのか?
答えは、カンです。
高松一高時代、僕は勉強ができるわけでもなく、毎日好きな落語を聞きながら、
のほほんと暮らしていました。
当然、大学に行こうとは考えもせず、さてこのまま働くのもなんだかなぁと思い、
教室の隅にあった専門学校案内を見て 「 よし、ここにしよう 」 とまったくのカンで決めました。
人前で何かをやるというのは好きで、二年間この学校にいて、運がよけりゃ役者みたいなことをやり、
悪けりゃとっとと帰って来ようと気楽に考えていました。

 

自分で決めた川崎市武蔵中原のアパートは六畳一間で、風呂なし、
くみとり式の共同トイレで家賃は一万八千円です。
バイトはなるべくやりませんでした。
元々なまけ者でもあるのですが、夏休みに田舎で思いっきりバイトして、後は生活を切りつめていました。
映画学校の先生は 「 今の学生は生活レベルを下げるのが嫌らしく、
なかには二つ掛け持ちしているヤツもいる。
バイト以外の生活が本当は大事なんだけどなぁ 」 とぼやいていました。
これは僕の経験上のことですが、学生の時、自分が将来何になりたいか分からない人は、
生活レベルを下げないためのバイトはヤメておいたほうがいいと思います。
大丈夫です、なんとかなります。
バイトは必要最低限で、余った時間は自分が興味を持ったことに、
どんどんチャレンジするために使うことです。
そして自分に向いていることを探すのが、学生の最大の目的だと僕は考えるのです。
僕は、ないお金をかき集め、映画や小劇場で芝居を観たり、ジャズダンスを習ったりしていました。
ダンスはのちに社交ダンスやコントの ” はっぱ隊 ” に大いに役立ちました。
そんな毎日の中でも、授業の方はいまいちで、
演劇の発表会でもセリフの少ない地味な役をやっていました。

 

なんか違うなぁと漠然とした不安感を持っていたところに、転機が訪れました。
漫才の授業が始まったのです。
僕と同じくあまり目立っていなかった内村光良という男と、コンビを組むことになりました。
二年生になった初夏のころでした。

 

四国新聞・朝刊 四国新聞 『 ナンチャンの何かでっきょんな 』より 平成14年10月5日(土曜)

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