2008.06.24

Category:OB

「西和賀の老人に学ぶ」福井崇志(映像科2年)

 

人差し指でキーボードを押す老人

パソコンを前にゆっくりゆっくりと言の葉を紡ぐ。
「自分史?誰がそんなの読むの」
笑顔で優しく夫を見守る妻を横に
「自分の生きた証を残したい。今更にそう思うようになった」
84歳の老人は笑った。

 

6月1日から9日にかけて岩手県和賀郡西和賀町で短編ドキュメンタリー実習が行われた。

マイクロバスに揺られること数時間、木漏れ日に眼が覚め、着いたところは岩手の山奥、
典型的な田舎の村だった。
これから始まる実習にわくわくしていた。自分たちで作品を作るということに単純に胸が
躍った。ドキュメンタリーをつくる練習だ。そう思っていた。

 

そんな初めて訪れる私たちを村の人々は喜んで迎えてくださった。

私たちの班も、ある老夫婦のお宅を取材対象と決め、インタビューを重ねた。
そのなかで、主人が「私の中では、まだ戦争は終わっていない」と語った。
これまで、私は、歴史とは教科書に書かれてある過去のことだと感じていた。
しかし、その年代を生きた老人が目の前にいて、戦争は終わっていないと語る。
その老人の中では、戦争という過去が今現在を左右していた。
このとき初めて歴史は今に繋がっていると、実感として感じた。過去のことではないのだ。
同時に、私は自分の勉強不足を感じた。
自分は何を知っていると言えるだろうか。教科書に薄くしか書かれていない内容をどれだけ
深く理解できていたか。何も理解してはいなかった。しようとしていなかった。
受験のための勉強をし、表面上理解したふりを装っていれば問題はなかったからだ。
これでいいのか? いいわけがない。
ジャーナルコースだからとか、そんなんじゃなく、普通に生きる上で、人を理解する上で
必要な知識だからだ。ある人を知りたいと思えば、必ず時代時背景が知識として必要になる。

 

何度も訪れる私たちに嫌な顔一つせず、主人は熱心に語りかけてくれた。

もしかしたら、この老人は自分史を残すことの一端を、未熟な私たちに望んだのかもしれない。
嬉しかった。
この実習を練習だと思っていた自分が恥ずかしい。
とんでもない話だ。
どんな人にも一回きりの人生なのだ。
作品をつくることは、その時点でもう一人で作っているのではない。
その人の大切な人生の一部を背負うことになる。
決して軽い気持ちで臨んだわけではない。
ただ、覚悟が必要なのだと学んだ。

 

初めての実習、決して上手な作品が作れるとは思っていない。

それでも、力を尽くし、できる限りの努力をする必要があると感じた。

 

最後の朝、握手を求めると

深いしわの刻まれた笑顔で返してくれた。
小さくしわだらけの手は温かかった。

 

(日本映画学校 映像科22期生)

 

 

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