2008.07.15

Category:OB

「Eさん」小沼雄一(映画監督)

 

監督の狙いがフロントガラスの“映り”であることは明白だった。しかし、私は助手席の足下に潜り込みフロントガラスを内側から上向きに見るかっこうになっていたため、その“映り”を見ることはできなかった。

ずいぶん長い間同じ姿勢を保っていたため、私は体が痛くなってきた。握りしめたトランシーバーを手放すことは躊躇われたので、私は両肘を使って体の重心を心持ちずらした。

 

車は低速を保っている。誰もいない運転席のサイドウィンドウ越しに、湾岸地帯のビルディングが後方へと一定の速度で過ぎ去っていくのが見える。すると風景の流れがわずかに滞り、車が減速するのが感じられた。減速は継続し、車はついに止まる。

トランシーバーから特に連絡がないので「赤信号なのだ」と私は思う。窓は閉まっており、エンジンも停止した状態なのでとても静かだ。
車内には私を含めて乗員は2名だけだった。もう一人の乗員はベテラン俳優のEさんで、後部座席の真ん中に座ったままじっと黙って本番を待っていた。

 

カメラのセッティングに時間がかかっているためかなり待たされていたが、Eさんは特に不快な様子も見せず静かに窓の外を眺めていた。二十一世紀が始まったばかりの頃である。

私は助監督で、牽引される車の中でただフロントガラス越しに見える空ばかり眺めていたのを覚えている。

 

「『空がこんなに青いわけがない』は傑作だと思います」

と、Eさんが唯一監督をした映画のことを私が唐突に切り出したのは、もちろん、それをどうしても言いたいとクランク・インしたときからずっと思っていたからだった。窓の外を見ていたEさんはしばらくじっとまるで何も聞こえなかったかのように振る舞っていたが、しばらくすると低い声でボソボソといつものしゃべり方で答えた。

 

「あの脚本は素晴らしかったね」

Eさんはあくまで脚本家の才能ぶりに関心を示すことで、手柄は自分にはないことを強調したいようなそぶりだった。そういう控えめな態度が、私がEさんに憧れていた理由かもしれない。Eさんは演技に対しても謙虚な人だった。

 

「普通に歩くのが一番難しいんだ」

前日、Eさんがこぼした言葉を私は思い出した。

 

普通に歩くシーンはその前日すでに撮影が終わっていたが、私がEさんのこの言葉を再び思い出すことになるのは、さらに後日、撮影の最終日のことである。

それはまさに作品のクライマックスシーンで、撮影はラブホテルの一室を使って行われた。
神父が絶命するシーンである。まだ照明を組む前の状態で何度かテストを行っていたとき、Eさんがこれまでになく集中していることはすぐに感じてとれた。
監督はカメラのアングルや照明の組み立て方を探るためにテストを重ねていたのだが、Eさんのシバイはすでに本番寸前であるように思われた。
私は現実に神父の死期が迫っているような錯覚に陥り、「次のテストで神父は死ぬ」という虚実を綯い交ぜにした感覚にとらわれた。
テストが始まると、暴発した銃弾を腹に受けたEさんは静かに後ずさりし、壁際にあった飾り棚に凭れ掛かるような格好になった。
棚の薄いガラスがパリパリと割れていく音が聞こえてきた。それはあらかじめ仕込んだ偽物のガラスではなく、現場にあった本物のガラスだった。
Eさんはなおもシバイをやめず、ゆっくりと床に崩れ落ちた。スタッフの誰もが、それがテストであることを忘れていたような気がする。カットがかかり、心配したスタッフが駆け寄ると、Eさんはいつものように苦笑いをしていた。

 

「いつの日か、日本人が日本の映画を観るようになるといいですね」

当時は映画といえば洋画のことで、邦画は暗くてダサくて安っぽいというイメージが蔓延しており全く不人気な時代だった。
私の問いに、Eさんはそういうことにはあまり関心がないかのように黙っていた。するとしばらくして、

 

「映画ってのはどうしてかテレビと違うんだよねえ。なんで違うのかねえ」とつぶやいた。

トランシーバーからノイズまみれの声が聞こえてくる。

 

「まもなく本番行きます」

私は握りしめたままの右手でスイッチを押し、

 

「了解」

と答えると、窮屈な体勢のままEさんに顔だけ向けて言った。

 

「じゃあ、本番行きます」

Eさんは静かに頷いた。カメラに写らないよう、私はさらに姿勢を低くして仰向けになる。車がゆっくりと走り出し、雲が後方に流れていくのがフロントガラス越しに見える。再びトランシーバーから声が聞こえる。

 

「カメラ回りました」

陽の光が私の顔に差し込み、私は目を少し細くした。
空の中を、青信号が通り過ぎていった。

 

(日本映画学校 映像科7期生/1年映画基礎演習講師)

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