2012.04.03

Category:教員

「映画大学で文学を」川崎賢子(日本映画大学教員)

 

20世紀の日本文学、日本文化を専門として、評論や研究活動を行っています。
戦争、植民地、占領など困難な状況のなか、表現の自由など絵空事のような厳しい
条件のもとで、圧力を受け検閲されながら書き続けた人たちに深い関心を寄せています。
表現者を脅かす力は、みえにくいものに変形されたけれど、いまもそこここにひそんでいます。
文学や文化を歴史的に考察することの意味は、みえにくい微細な差異や変化に対する感性を磨くことにもあるとおもいます。

 

日本で唯一の映画の単科大学に学ぼうという意欲ある学生のみなさんとともに文芸、文化、芸能をはばひろく勉強できる機会を得て光栄です。
日本映画大学で学べることのなかには、現場に直結する技術と、長期的な時間のなかでいつかどこかで役に立つ可能性のある知と、二つの要素があります。
理論系を担当する私の役割は、即効性はないかもしれないけれど、皆さんの将来の人生の節目に示唆を与えることのできる知恵を、言葉で伝えることです。
理論とは知識ではなく、認識の枠組や批評的なものの考え方であり、皆さんの偏見や常識の殻を破って脱皮させる力です。
映画人にとって、頭脳を鍛えるだけではなく、生の足腰を鍛えてくれるものです。
また、さまざまな意味で、「外」に出て行く地力をやしなってくれるものでもあります。

 

2011年3月11日、東日本大震災の日を、私は日本映画大学でむかえました。
いつまでもおさまらない揺れのなか、気がつくと、同僚の先生方と固く手を握りあい、揺れる大地を踏みしめていました。
実家が震度7で被災したため、家族の救出、引っ越しなど、環境の激変に翻弄される日々を過ごしました。
ものを書く人間として、表現のむなしさに直面し、言葉を失うこともしばしばでした。
けれども、恐怖と不安に閉ざされた現在に異を唱え、記憶の風化にあらがうすべは、私にとってやはり書くことであり批評なのだと、あらためて確認して今日にいたります。

 

第二次世界大戦敗戦、GHQ占領期以降、原発安全神話をささえてきた新聞、TVなどの
マスメディアに対する不信感がつのる一方で、情報を検証するメディア・リテラシーやジャーナリズム精神が今ほど求められる時はありません。
一瞬、一瞬の変化に情緒的に対応するだけではなく、歴史のなかに体験を置きなおすことも必要です。
今こことは異なる未来の選択肢を探るためにも、歴史に学んでほしいと願います。
皆さんとともに出発し、皆さんとともに学ぶつもりで、私はこの大学にいます。

 

(日本映画大学 教授)

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