2013.04.09

Category:学生

「三年間で学んだこと」 荘原正樹 (日本映画学校 映像科卒業)

この三年間は僕の人生にどう影響するのだろう?
 
未だ就職先も決まらず、これからの予定は真っ白。
なのに引っ越すのは、家賃が一人で住むには高すぎることと(一年間、友人と一緒に住んでいた。彼は先に部屋を出て行った)、今、住んでいるこの場所から離れたいからだ。
 
引っ越しのため、荷物を整理しているとき、懐かしいものを見つけた。
一年生のとき撮った映画の台本だった。
 
初めての映画制作で僕は撮影を選んだ。
特に理由は無い。何をすればいいか分からず、ほんの少しの興味で選んだだけだった。
初めて持ったカメラのずっしりした重量感が両手に伝わり、ファインダーを覗いたとき、ああ、こうやって映画は作られるんだと実感し、感動した。
 
二年生になって編集部に進んだ。
編集は面白かったし、やりがいはあった。
フィルムに写る無数のコマを切ったり貼ったりする作業は、「俺、今映画作ってるよ」って感じの充実感があった。
撮影した画を繋いでスタインベックで見て、あれこれ考えることも好きだった。
デジタルになってもその気持ちは変わらなかった。

ただ、編集部に入ったのは、「将来は絶対に編集技師になる!」みたいな確固たる理由では無く、ただ漠然と編集でもしてみよっかな、と思ったからだった。
編集の仕事で食っていこうという情熱もなかった。
 
昔から自分で決めることが苦手だった。
僕が今までの人生で選んできた選択の恐らくほぼ全て、何となく、だったと思う。
 
映画が好きで、映画を作ってみたいと思い、この学校に入学した。
しかし実際は、何となく生きてきて、何となく生きていた。そうしているうちに、映画すら何となくで作るようになってしまっていた。
 
いつから自分は、惰性に流されるようになったのだろう。
自分で選択する苦労を嫌がって、失敗や辛いことは全て他人のせいにした。
何故、自分自身で決断することを放棄したのだろう。
何となくで過ごしてしまった三年間を、僕はとても後悔していた。
 
台本の中に一枚の写真が挟まっていた。
初めて作った映画のクランプアップのときに撮った集合写真。
撮影が終わって安心したのか、能天気な顔をしている。
あの頃は何も分からず、無我夢中だった。必死に行動していた。
三年間で一番忙しかったが、一番充実していた。
 
遅いかもしれないが、これからは、自分の行動は自分で決めよう。
がむしゃらにやろう。
 (日本映画学校 映像科25期生)

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