2013.07.30

Category:学生

「『日タイ共同青年ワークショップ』オープンキャンパス報告会」原啓仙(日本映画大学 3年) 

(写真・中央)

 

7月14日、2013年度第2回目のオープンキャンパス。
この日、留学プログラムに参加した僕ら7人はオープンキャンパスに向け参加した学生たちに向けて発表を行いました。
テーマは「震災に対して映画が出来ること」
2012年末にメンバーが決定してから僕らはこのテーマと向き合い、また「東日本大震災」や「災害」と向き合ってきました。今回はその成果の発表。

 

震災を扱った映画人に取材を行ったことや、今年の2月にメンバーで東北の被災地を回ったときの映像、その時に感じたもの。
そして、タイへ行って感じたこと、それぞれを今回の発表では振り返り、今だから感じられることをまとめました。

 

「映画が出来ること」を探す上で、映画人や人・個人が出来ることは何なのだろう。あるのだろうか。
と皆で考えた時期もありました。
無いのではないか、という結論に至ったりもしました。
しかし、実際に震災と向き合った映画人に取材を行い、それは覆りました。
映画人は無力を感じながらも、自分の出来ることを映画でしていたのです。
そして見えて来た1つの答え「関わり続けること」
関わり続けながら考え続けていくことが何が出来るかを見つけられるヒントになる。
まずは僕個人が何が出来るかを探し続けたい。
関わり続けてそれを見つけたい。という言葉で発表を終えました。

 

オープンキャンパスに参加した学生との意見交換も行いました。
「東日本大震災に関する映画はだんだん観られなくなっていくのでは? その限られた時間でどうしますか?」
という質問がとても印象的でした。
確かにだんだん撮られる数も減り、観られることも減っていくかもしれません。
今でさえ、震災に関するドキュメンタリーを観ている人は少なく、劇映画の製作本数も多くはありません。
しかし、震災はまだ収まっておらず、ドキュメンタリーの製作も今後増えていくことでしょう。
また、劇映画のほうも非被災者がよく言う「忘れない為」という目的で作られることもあるでしょうし、まだ今は劇映画として扱うのが難しい時期なのだと思います。

 

そして、僕はそれを「限られた時間」とは思いません。
だって、映画は残り続けるものだから。
永遠に残る、だから何も心配は要らないと思います。
震災に関するドキュメンタリーは撮られては、様々な所で公開されています。
それは劇場ではもちろん、自主上映会という形で全国各地の公民館などでも公開されています。
それは上映会の企画者と映画製作者の両方が共に「忘れない為」「伝える為」に行っています。
人は皆、震災を風化させない様に映画を使って努力しています。
映画は「記録する」以外にも「繋ぎとめる」役割も持っているのです。
だから今、震災を記録することは意味があるし、その行為は「限られた時間」を思わせない。
永遠に伝え続けることが映画には出来る、そう思います。

 

半年間、皆で考えて来て見えたのは「映画には出来ることがある」そんな当たり前のことでした。
しかし、見えただけではなく、僕らは実感することが出来た。
そしてこれを機に僕たちは関わり続けて考え続けていきます、今度は「僕ら自身が出来ること」を。
そして、映画をつくって行く上でそれを証明したい。
(日本映画大学 1期生)

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