2013.11.19
Category:学生
「別に職業として映画をやらなくてもいい。映画好きの八百屋がいてもいいじゃないか」
これは本学の講義中に講師の方が言われた一言である。
私はこの言葉がいつまでたっても頭から離れない。
この言葉によってなぜ自分は映画を職業にしようとしているのかという自分の中の基礎が揺らいでしまった。
職業として映画を生涯続けていくよりも、趣味として映画を見たり、作ったりしていた方が楽しいのではないか?
そんな疑問が頭の中から離れないでいた。
映画を職業にしたい理由なぞは簡単である。
「映画が好きだから」この一言に尽きる。
しかし、20を越え、地続きに続いていく流れの先に好きだからという理由で職業としていいのだろうかと、ふと感じてしまう。
実際、映画を見るのは楽しい、映画を作ることも楽しい、そして、まだ経験していない映画の分野もきっと映画がかかわっているのだから楽しいだろう。
楽しさだけを追求してもいいのだろうか、世の中には様々なものからの抑制が働いている。
扶養、介護、教育、衣食住、福祉。それらとどう向き合っていくのか。
「やりがい」と言う面で映画はとても充足している。
映画に関連したどの職業をとってみても、「やりがい」のない職業などないだろう。
とても忙しい環境に加えて、自らが担当した仕事の内容が誰かに影響を与えるかもしれない。
大作にかかわることができればさらに多くの「やりがい」を感じることができるだろう。
結局のところ、何を求めていくのかということなのだ。
自分のやりたいことがある人に私の揺らぎは愚問であるだろう。
周りにもし、自分を応援してくれる人がいるのならば、私の揺らぎなぞ無視して邁進していってほしい。
私は職業としての映画を選択した。
自分にとって映画とは何なのか。
それを今一度自分に問いただしてみてもいいのではないか。
(日本映画大学1期生)